「そこは断崖絶壁で、助けられるのは一人きりだとする」
「・・・何の話ですか?」
弁慶がゆっくりとヒノエの上から上体を起こすと乾きかけた体液が無音で二人の皮膚を引き攣らせた。
枕元に置かれた盃の酒を飲み干すと一心地ついたように弁慶はヒノエの隣に仰向けに身体を沈める。
「まあ、聞けよ。助けられるのは一人きりだとして、俺と九郎が今にも奈落の底に落ちようとしていたら・・・・あんたはどっちを助ける」
軽口のまま問いかけようとして語尾が震え、ヒノエは弁慶に気付かれぬように小さく舌打ちをした。
「九郎です」
迷いの無い弁慶の言葉にヒノエは咄嗟に返答が出来ず寝具に顔を埋める。
閨の中での他愛の無い戯言。
そのつもりで話を振ったのだが、予想通りの弁慶の答えは思いの外ヒノエの心を抉った。
「怒りましたか?」
うつ伏せのまま顔を隠しているヒノエの髪を弁慶は弄ぶように梳く。
「酷い事を言っていると、自覚はあるんですよ・・・・・」
許しを請うように、宥めるように、弁慶はヒノエに覆い被さると、燃えるような赤い髪に口付けを落とし、しなやかな背中に唇を這わせていく。
「・・・っ、別に、怒ってない・・・」
すぐさま弁慶に反応を返す自分の身体を忌々しく思いながらも、ヒノエは戦慄く唇で弁慶に答えた。
「僕の心と命は九郎に捧げると決めています」
ヒノエを貪り全身にくまなく口付けをするその同じ唇で、弁慶は容易くヒノエの心臓を締め上げる言葉を吐く。
傷付けられると本当に心臓が搾られるように痛む。
「もう・・・こんな事は止めますか?」
ハッとしてヒノエが顔を上げると、その動きを抑えるように弁慶がヒノエに圧し掛かり背中から抱きしめてくる。
ヒノエの心臓が破裂するかというほどに激しく脈動を繰り返しているのに、背中越しに伝わる弁慶の心音は憎らしいほどに穏やかだった。
「ヒノエ、後悔するといったでしょう」
項をきつく吸い上げられてヒノエは歯を食いしばる。
声を漏らさないのはせめてもの抵抗だ。
こんな筈ではなかった。
始めに仕掛けたのはヒノエ。
いつも涼しげに微笑む男を困らせてやりたいと、ほんの軽い遊び心だった。
近しい存在の叔父に対して様々な面での対抗意識も働いていたのかもしれない。
認めたくは無いが、冷静沈着で常に自分の一歩先をいく弁慶の慌て取り乱す様を見てみたいと思った。
酒の勢いに任せて婀娜をつくりしなだれかかるヒノエに弁慶は少しの動揺も見せなかった。
その事でかえって意地になるヒノエに二度弁慶は忠告した。
後悔をする、と。
二度目の忠告を無視したヒノエは引き際を完全に見誤ったと言うしかない。
弁慶は一つ小さく溜め息をつき、ヒノエと真正面から向き合った。
弁慶の瞳にいつもと異なる焔が灯った事に気づくと同時にヒノエは荒々しく弁慶に組み敷かれていた。
それからは弁慶は穏やかな表情を崩さぬまま、その細腕からは想像もつかない強力で暴れるヒノエを押さえつけ犯した。
ヒノエの酔いは一気に醒めた。
ヒノエは女のように弁慶を受け入れさせられ身も世も無く啼き声を上げた。
もう止めてくれと泣き濡れた顔を晒すヒノエを弁慶は猛る楔で何度も貫いた。
男としての矜持は跡形も無く消え去り、気付けば堕ちたのは自分一人だった。
弁慶は涼しい顔のまま、もとの立ち位置で何一つ変わらぬ様子でヒノエを見下ろしていた。
ヒノエはただ一度の契りで弁慶に囚われてしまった。
それからは情も無く体だけを繋ぐ弁慶との不毛な関係をヒノエは解消出来ずにいる。
「君が嫌なら、もう止めますか・・・・?」
弁慶は決定権がさもヒノエの手の中にあるかのようにヒノエに選択を促す。
この関係を終わりする、と言葉にする踏ん切りはつかない。
この関係を続けてほしいと口にするのは僅かに残った自尊心が邪魔をする。
結局はいつものように、ヒノエは貝のように口を閉ざし弁慶に判断を委ねて逃げるのだ。
これほどに自分は女々しかったのかと鬱々とした気持ちが後から後から沸いてくる。
「僕は酷い叔父ですね。可愛い甥にこんな無体を働いて」
「・・・心にもない事、言うなよ」
弁慶が密やかに笑う気配がする。
閨の中でさえ弁慶がヒノエに見せる笑みは大勢の前で見せるいつもの笑みと変わりは無い。
その事が自分は弁慶の中で何ら特別な存在ではない、劣情を満たす道具なのだと証明しているように思う。
シンとヒノエの身体の芯が冷えた。
顎を不自然に持ち上げられ、苦しい体勢のまま背中に覆い被さる弁慶からヒノエは口付けを受ける。
「ヒノエ、君が執着するような価値など・・・・僕には無い。それでもいいんですか?」
ピタリと身体を沿わせるように密着させ、弁慶はヒノエの髪に鼻を埋めてくる。
ヒノエは自分に覆い被さる熱を、それでも振り払う事が出来ない。
「沈黙は・・諾と見なしますよ」
寝具に投げ出されたヒノエの手を弁慶は握り締める。
「僕は九郎のためなら何も考えずにこの身を投げ出します。九郎のために散々この手を汚してきた。場数を踏んだ君でさえも胸が悪くなるような汚い事をね・・・・」
弁慶の身も心も、九郎の物なのだという。
体温の下がったヒノエの身体が再び熱を持つ。その熱が九郎に対する嫉妬だなどと認めたくは無く、ヒノエは固く目を瞑った。
「だから僕が死んだなら、とても極楽浄土へは行けないでしょう。そしていつか・・・僕が地獄に行く時は、その時はねヒノエ、君を連れて行きます」
弁慶の身体の下で熱を帯びたヒノエの身体がヒクリと震えた。
拒む間もなく弁慶の掌はドクドクと跳ね始めたヒノエの心臓の上に重ねられる。
「あんたは・・・最低だ」
ヒノエの声は誤魔化しようもなく震え、掠れていた。
いっそのこと、お前は九郎の代わりなのだと、ただの道具なのだと言われれば割り切れるものを。
身も心も自分以外の人間に捧げると公言する目の前の男は、命が絶えたその時には自分を道連れに逝くという。
ヒノエは弁慶に囚われた。
そして弁慶は手の内に堕ちてきたヒノエを手放すつもりは全く無いのだ。
もともと選択の余地など、ヒノエには無い。
やおら弁慶の腕の中で身体を反転させるとヒノエは顔を弁慶の胸元に押し付ける。
「なあ・・・もう一度」
性急に弁慶の胸の飾りに舌を這わせながらヒノエは力を失ったままの弁慶の雄を握りこむ。
弁慶はしばらくヒノエが好き勝手に身体を弄るのを許していたが、
「泣いても知りませんよ」
硬い声音で宣告するなりヒノエの膝裏を掬い片足を自分の肩に担いだ。
「う・・あぁ・・」
弁慶がヒノエの身体の上に上体を倒すと同時に形を成した弁慶の雄がヒノエの中に押し入っていく。
高くヒノエが声を上げると同時に目尻からは一粒涙が零れ落ちた。
弁慶の言葉に嬉しくて泣いたなど気付かれたくない。
嬉し涙など、絶対にこの男に見せてやるものか。
零れ落ちる雫が快楽の涙に摩り替わった事にヒノエは安堵すると、弁慶に揺さぶられたまま欲望を吐き出すために高みに追い立てられていった。
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