気付けばはうっそうとした森の中に立っていた。
自分の身体を見れば水色のノースリーブのワンピース一枚という出で立ちのままだ。足元のサンダルも変わりない。
チクチクとサンダルの隙間から足を刺して来る薮の痛痒さに足踏みをすると、近くにいた野鳥が驚いたのか勢い良く空へと飛び立った。小鳥達がのもとに親しげに飛んでくる事は無かった。
は何の力も無いただの生身の人間としてこの場に帰ってきたのだ。
森を覆う冷気には身震いする。
日の光は木々の間から差し込んでくるが、今はいったい何時ごろなのだろう。大体季節はいつなのか。
が元の場に戻されてからさほど時間がたっていないのなら、冬の季節にこの姿では寒さに身動きすら出来ないだろう。
いったいどれほどの時間が経ってしまったのか。
そしてが知る人々の状況はどう変わってしまったのか。
こちらに戻ることだけで頭が一杯でそこまで考えが及ばなかったは、ドクドクと脈打ち始める心臓を押さえながら一歩ずつ山を下っていった。
少しずつ足元に茂る薮が途切れ始める。とうとう人が踏み固めたのであろう細い山道に行き会い、は道なりに進んでいった。
茂みや木々から白い靄が立ち上り始める。これから少しずつ気温が上り始めるのだ。
朝靄を見ては胸を撫で下ろす。
こんな洋服では目立ってしょうがない。早朝の人目がつかないうちにどうにかして見知った人間に会いたい。
逸る気持ちを押さえながらは一歩ずつ慎重に歩を進めていく。
その内に木々の間から建物らしきものが見えてきた。
民家というには立派過ぎる建物の裏手に辿り着いたは表に回りこの場所を思い出した。
景時と来たあの神社だ。
神社の裏山を下りきり、やっとはその境内へと辿り着いたのだ。ここからならばどうにか市中へと歩いて行ける。
立派な社を背に境内を見渡したは一角で咲き乱れる桜の木々を見つけた。
それぞれは若く細い桜の木だったが、それが数十本と集まり見事な桜並木を作っているのだ。
景時が言っていた桜だ。
吸寄せられるように桜に向かい歩き始めたは息を飲む。
その見事な桜並木を愛でる先客が居たのだ。
均整の取れた身体で姿勢よく立ち、すぐ頭上に枝を伸ばす桜を腕組しながら見上げている。
季節は終わりに近いのか、ひらひらと桜が舞い散る薄桃色の吹雪の中で青みがかった鮮やかな緑の頭髪が見え隠れする。
固まるの前方でその人物がゆっくりと振り返った。
驚きに見開かれたあと、の記憶と違わずにゆっくりと弓なりに撓むのは翡翠の双眸。
「君とこの桜を見られたならって、毎朝ここに来る度に思っていたよ・・・」
景時はゆっくりとに向かい歩いてくる。
対しては完全に気が動転していた。景時に会うためにやってきたが、これほど早くに会えるとは思いもしなかった。
心の準備を全くしないままにこの時を迎えてしまった。
季節は冬を飛び越えて春になっている。だいたい、あれから何度目の春なのだろう。
がいない間に景時にはどんな事があったのだろう。
いつも着ていた戦装束ではなく、今目の前に居る景時は浅葱色の着物と袴という格好をしている。戦は終わったのか、戦奉行を退いただけなのか。
の傍まで来たものの、常の饒舌ぶりは形を潜めて無言で佇む景時を前にの緊張はどんどんと高まる。
「あの・・ユキにお願いして送ってもらったんです。せっかく帰してくれたのにごめんなさい。あの、元気でしたか?戦は、終わったんですか?朔は、皆は元気ですか?望美ちゃん達は無事に帰れましたか?私がいた時は秋だったのに、春になっていてびっくりしました。本当に、ここの桜は綺麗ですね・・・」
矢継ぎ早に質問をして、その上話題も次々と流れていく。らしく無く、喋る口が止まらない。
確かに桜は綺麗だが、そんなことなど今はどうでもいいのに。
はいざとなると怖くなり、言わなければならない一言がどうしても言えない。
ユキはもう居ない。は二度ともとの時代へは戻れないのだ。
景時の都合も考えずにこちらに戻ってきてしまい、景時は迷惑に思うかもしれない。負担に思うかもしれない。
は不安でどうしようもなく、景時の前で泣き出してしまいそうだ。
ちゃん」
いつの間にか俯いていたは景時の声の近さに驚き顔をあげる。
景時は間近からの顔を覗き込んでいた。顔にはを安心させてくれるいつもの柔らかな笑み。
「俺の傍に居てくれるのかい?」
潤んだの瞳から堰を切ったように涙が零れた。
「うん・・、うん・・!」
景時の首筋にしがみ付いたを抱き上げるようにして、景時はその両腕にきつくを抱いた。
うん、とが頷く度に景時はの存在を確かめるようにその腕の力を強める。

景時はいつだって、必ずが欲しい言葉をくれる。










、気を付けて」
景時に手を取られながらはゆっくりと山道の土を踏みしめる。
その景時の反対の片腕には産着に包まれた赤子が大人しくじっとしている。髪は柔らかな栗色だったが、その瞳は珍しい青みがかった緑色をしていた。
「もう少しだから」
その赤子と同じ瞳を持つ景時は微笑みながらの手を力強く引く。
獣道のような山道を登っていくと突然に視界が開けた。
「景時さん、これ・・・!」
白木で組まれたそれは小さな社だった。高さはの腰の高さほど。
真新しいそれは独特の清々しい木の香りがした。
「白虎をね・・、奉ろうかと思って。色々あいつには世話になったし。ここの神社の別当にお願いしてこの土地に作らせてもらったんだよ。まあ、ささやかなものだけど。あいつは派手なのは嫌いな感じがするしねえ・・・・」
その時、景時の口を封じるように突風が景時の顔を叩いた。景時が嫌そうに目を眇める。
その風はいったん上空へ舞い上がった後、心地良いそよ風になってが腕に抱く赤子を撫でていく。ふわふわと赤子の柔らかな前髪をひとしきりそよがせると、その風は再び上空へ舞い上がっていった。
その風をは良く知っている。
「あいつ・・・」
景時は苦虫を噛み潰したような顔をしている。こんな苦々しい景時の顔は珍しい。景時もあの風を良く知っているようだった。
クスクスと笑いを零すを見て、軽く眉間に皺を寄せていた景時もしまいには釣られて笑う。
の腕の中で赤子は何が見えたのか必死になって小さな両手を空に伸ばし、何かを掴もうと身動ぎしている。
赤子が息を吐き出すとともに高く愛らしい声が桜色の唇から漏れた。
その途端に赤子の小さな胸元に四十雀が二羽、ポスンと収まる。
と景時は思わず顔を見合わせた。
四十雀はひとしきり赤子の産着の上でさえずると挨拶を済ませたといわんばかりに二匹同時に空へと飛び立った。それが面白くなかったのか赤子はの腕の中でむずかり始める。
「また会いに来てくれるわよ」
がゆっくりと赤子をあやすと、やがて赤子は長い睫に縁取られた瞼を下ろしすやすやと眠り始めた。
この子は全ての命に慈しまれて幸せな生を送る。この子の傍にはいつもユキが居てくれるだろう。
が受けたユキの主からの祝福はの子へと移った。我が子は幾度も生まれ変わり、ユキは我が子の傍で今はまだ若い枝葉をどんどんと伸ばし、いつしか荘厳な大樹になる。
静かになった景時にが目線を戻すと、景時は社の前に座り込んで黙々と小皿の中の赤い岩絵具を水で溶いている。
景時が何をしようとしているかは分かった。
「景時さん、それ私に書かせて」
「五芒星を?」
景時は少し驚いた顔をしたが、の好きなようにさせてくれた。
まず景時が薄く社の奥の壁に下書きを施す。
眠る赤子を景時に預けてから、は小さな社の中に上半身を潜り込ませた。
一つ一つの線を慎重になぞっていく。祖父から聞いた通りの書き順で、思いを込めては筆を走らせる。
「・・・できた」
既に景時が書き記していた祝詞の中央にの五芒星が鮮やかに加えられた。
「うん、上手に書けたね」
景時は社の中を覗き込んでから労うようにの額に口付けを落とし、それから腕の中に抱く愛娘の額にも口付けを落とした。
は満ち足りた気持ちで抜けるような青空を見上げた。
が生涯をかけて成し遂げたいと願った事。それは景時と共にあることだ。
その願いは新たに生まれた命と共に三人でこの時代を生きることへと変わった。



そしてがこの時代を生きた証。
鮮やかな朱色の五芒星は、が愛し愛された人々の時代へと色褪せることなく数百年の時を越える。














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