悲願が成ったらその次はどうしようか。
かれこれ18年、生きてはみたが早々世の中には面白いものは転がっていないのだなと弁慶は小さくため息を零す。
「女性、でしょうか。・・・・いや」
綺麗に半円を描いて架かる大橋の真中に弁慶は静かに佇んでいた。
しかし弁慶に向かって臆するでもなく歩いてくる人影は純白の薄衣で上半身を覆ってはいるが、脇にはしっかりと得物を差している。
弁慶より頭一つ分体が小さく華奢ではあるが、まごう事なき男子であろう。
その人物は小さな横笛を口に咥え、それを奏でながら弁慶に近付いてくる。それがまた、上手いとはお世辞にもいえない。
師匠に練習を言い渡された童のように同じ歌の同じ所ばかりを上下に跳ね上がる抑揚をつけて、その者は笛を吹き続ける。
その危機感のなさに弁慶の口元も思わず綻んでしまう。
「こんなに夜遅くに危ないですよ」
弁慶の柔らかな声音にその人物は歩みと笛の音を止めた。
「最近の京は物騒です。大橋には毎夜鬼が出るという噂を知らなかったのですか?」
「お前がその鬼か」
その者の声は声変わりをする前の少年のものだった。凛と真っ直ぐに響く音が心地いい。
「ええ、僕がその鬼です。君のその刀、申し訳ありませんが譲っていただきます」
弁慶が言い放つと同時に閃光一線、弁慶の眼前を走る。ひらりとかわした弁慶の足元には抜き身の刃が深く食い込み派手に橋板の木片が散った。
その少年は目にも止まらぬ速さで刀を抜き放つと弁慶に切り込んできたのだ。
「おや、なんてせっかちなんでしょうね」
「黙れ鬼!成敗する!」
少年の上半身を覆っていた薄衣はふわりと風に攫われて橋の下に落ちていった。
露わになった少年の容姿にしばし弁慶は目を奪われた。元気よく曲線を描く亜麻色の長い髪は形の良い頭の上に行儀よく結ばれている。顔立ちは青い月明かりの下でも随分と整っている事が知れる。切れ長の瞳はその小さな顔に対して零れ落ちそうなほどに大きい。すっと通った鼻梁の下には形の良い桜色の唇が持ち主の意思を表してか一文字に結ばれている。
少年はきりりと眉尻を引き上げながら弁慶に向けて正眼に刀を構える。
その太刀は華奢な少年にとっては手に余るほどの長さのように思う。
「ふう、その刀を仕舞いなさい。そんな可愛らしい顔をして物騒なものを・・・」
ギン!と耳を突く金属音に混じり火花が瞬きとなり弁慶と少年の顔を照らす。弁慶は自分の太刀で苛烈な少年の一撃を受け止める。
弁慶に最後まで話すことを許さず少年は更に二度、三度と確実に弁慶の急所を狙い太刀を打ち込んでくる。やはり身体に比例して力は劣るが少年の太刀を繰り出す速さには目を見張るものがあった。
「ふざけた事を、言うなっ・・・!!!」
再び間合いを取り少年は弁慶と向かい合わせに対峙する。
頬が桃色に上気している。
「そんなに怒らないで下さい。だって本当に君は女の子のように可愛らしいですよ?」
「馬鹿かお前はっ!!!」
再び少年が弁慶に打ち込んでくる。しかしその斬撃は軽い。
未熟な身体なだけに体力も無いのであろう。しかも弁慶のからかいに面白いように心を乱されて、少年の息はどんどんと上がっていく。
「もう疲れてしまいましたか?もっと手合わせ願いたかったのですが、残念です」
弁慶は半ば本気だった。
今夜、千本太刀を集める悲願が成るという時、その最後の一本の持ち主がこれほどに面白い少年であろうとは。
楽しさに弁慶は心が浮き立つのを感じた。
真剣に挑んだ勝負を手合わせと揶揄されて少年はますます怒りに顔を紅潮させる。
心底悔しいのか眦には雫が滲み始める。
「ああ、泣かないで。意地悪をしすぎてしまいましたね」
「う、煩い!!」
少年は慌てて袖でぐいと涙を拭う。
素直に跳ね返ってくる少年の反応が微笑ましく、弁慶はゆるりと口角を上げる。
「君はどうして鬼を倒しに来たのですか」
「京の人々の為にだっ!!・・・・それと、先生が鍛錬になるからと・・・・」
前者の理由は青臭い少年の正義感から、後者は少年が師事する師に修行の一環として言い渡されたのか。
「ふうん、先生が」
洛中の者達は五条大橋に毎夜立つ弁慶を鬼だ妖だと噂し、怖れる余り夜出歩く事すら控えている。それなのに鍛錬の為に鬼に会いに行けとは。少年の師は鬼の正体が人であると知っているのだろう。しかも不必要に少年に害を成さない人間であると。
「君の名は?」
「人に名を聞くときには自分から名乗れ!!」
毛を逆立てた子猫のように威嚇態勢を解かない少年の前でクスクスと笑いを零しながら弁慶は答えてやった。
「僕は・・・鬼若、といいます」
「俺は牛若丸だ」
ふん、と鼻息を荒げながら少年も弁慶に返す。
弁慶は記憶がしまい込まれた引出しを何箇所かひっくり返してみた。それから、ああ、と納得する。
鞍馬山の天狗が何の気まぐれか幼子を手元に置いたという。何年か前に比叡山の法師達の間で噂になっていた。
幼子の名前は牛若と言わなかったか。
しかし喰えない天狗だ。
「噂は本当だったのですね」
数年前には幼子と噂されていた者が今は少年の姿形をして弁慶の前に立っていた。
弁慶の言葉に牛若丸は不思議そうに小首を傾げる。
ついさっきまで敵愾心を剥き出しにしていたと言うのに、その余りの無防備さとあどけなさにやはり弁慶の頬は緩んでしまう。
「いえ、こちらの話です」
「そうか・・・」
まだ太刀を弁慶に向けてはいるが、牛若丸はどうも気が削がれてしまったようだった。漲っていた気迫も既に霧散している。
「さて・・・、鬼を倒したいのなら君はまだまだ鍛錬が必要のようですね」
「何っ!!」
牛若丸の眉が再び勢いよく跳ね上がるのを弁慶は目を細めて眺める。
「今度は僕から君に会いに行きます。その時にはまた君の太刀を賭けて勝負しましょう」
言い様弁慶は橋の袂から軽やかに身を投げ出した。
「鬼若!!」
橋の上から驚きに目を見開いて牛若丸が弁慶を見下ろす。
小船の上に難なく降り立った弁慶は櫂を使い川岸を突き、自ら乗った小船を流れに乗せる。
夜空を振り仰げば視界の端にまだ牛若丸の姿が見えた。驚きにポカリと口を開いたままで未だ弁慶を見つめ続けている。
その牛若丸に向けて弁慶は別れを惜しむ友のように手を振って見せた。
橋の上で何やら牛若丸は弁慶に向けて喚き散らしていたが川の流れに乗りどんどんと下流に向かう弁慶には残念ながらその声は届かなかった。
何故これほどに心踊るのかはわからないが、世の中はまだ捨てたものではないとこの一晩の出来事で弁慶は考えを改めたのだった。











index    2