「里に帰ってくるのも久しぶりだわね。」
二年ぶりに木の葉に帰ってきた。久しぶりの故郷だけど、何も変わらない。
火影の顔岩が見下ろすその下には、濃い緑の隙間を埋めるように家が立ち並び、町が広がっている。里はもう夕暮れを迎え商店街では店じまいが始まり、繁華街は明かりが灯り出す。子供達は子犬のようにじゃれあいながらそれぞれの家に帰っていく。
火影に任務終了の報告を済ませ、懐かしい町並みをぶらぶら歩いている時、あたしは大変なことを思い出した。
(任務にかかった経費の清算の期限、今日までじゃないのよ!!)
今、時刻は4時45分。受付終了まであと15分。あたしは30分で歩いてきた道を10分で駆け戻った。
施設に到着してから受付窓口を探すのに手間取った。あたしが里を留守にしている間に改築しやがったらしい。
やっとの思いで窓口を見つけ駆け込むのと一人の男が窓口に書類を差し出すのが同時だった。
「あた・・あたしのもお願い!!」
「・・今の方で今日の受付は終了です。」
受付の女は淡淡と棒読みのセリフを吐き出した。
男の脇から窓口の中に書類をねじ込んだあたしは一瞬のフリーズ後、その女に対し思わず無意識に殺気を向ける。
「てめ・・・オーバーした経費、あたしに被れって言うのか・・・・。」
「それでは、オレは明日でいいですよ。」
はっとして我に返る。横を見上げると気持ちの良い笑顔を向ける黒髪の男が立っていた。男の事をすっかり失念していた。窓口の女は上忍エリートの殺気をもろに受け半泣き状態になっている。男は窓口を覗き込んで女に告げる。
「オレの代わりにこの方の書類を通してください。」
「は・・はい!!」
窓口の女は打って変わって聞き分けが良くなっている。
瞬時に沸騰した感情の勢いを削がれ、ぽかんとしているあたしに男は軽く会釈をし、静かな足取りで出口に向かっていった。
女はあたしの書類の署名欄を見てさらに慌てふためき、物凄い速さで書類を処理していく。
「お、待たせいたしました。お疲れ様でございます!!」
「・・・やれば出来るんじゃん。」
女から書類を受け取りあたしはにっこり笑ってやった。


危なかったな。上忍のあたしが殺意を一瞬でも持ってしまったら、我に返る前にあの女を瞬殺していたかもしれない。任務が終ったばかりでまだ気が立ってるな・・・。しかし、あたしの殺気に動揺することもなく、あの男・・・。何者だろう。

ぼんやり考え事をしながら歩いていると、道すがら古いなじみの顔を見つけた。なんと、さっき窓口で会った男と立ち話をしている。遠くから様子を伺っていると2、3会話を交わしただけで男は向こうに歩いていってしまった。こちらに向かってくる顔なじみを私はつかまえた。
「カカシ!」
「・・・よっ!。」
こいつとあたしは知り合ってから10年以上は経つ。昔からの仲間がどんどん死んでいく中で、あたしはこいつと一緒に何回か死線を潜り抜け今まで運良く生き延びてこられた。いわば同士だ。といってもこいつは常にあたしの前にいて、あたしがやっとAランク任務の単独指名を受けるようになった頃にはさらにあたしの上(超エリート)にいた。
「生きて戻れてなにより。」
唯一露出している右目でカカシは笑った。
「あんたこれから暇?」
「ま、ね。」
「じゃ、飲もうよ。あんたのおごりで。あたしの生還祝いやって。」
「う〜ん・・・。ま、いいケド。」
一応あたしの上官にあたるのだけど、カカシは昔から態度を変えずに接してくれる。カカシの立場が高くなっていき周りが態度を変えていく中で、あたしもカカシに対して態度を変える事が無かった。会うのは何年かに一度だけど、会えばなんでも話す事の出来る貴重な人間の一人だ。
おごりで、と自分で言い出した後にあたしはカカシの口布のことに思いあたった。
「あ、カカシ。やっぱり家に来る?」
あたしは一応気遣ってみたのだが、カカシはいい店があるから、とまた右目で笑って先を歩いていく。
へえ。あたしは少し意外に思った。何故かは知らないが、カカシは人前ではずっと口布をつけたままでいる。食事をするときにもさり気なく人と同席するのを避けていたのに、何か心境の変化があったのか。まあ、それはおいおい聞けばいい。あたしはカカシの後に続いた。


案内された店は、繁華街を通り抜けた先、紹介が無ければ気付かないであろう古民家を改装した創作料理の店だった。店内はテーブルごとに個室に仕切られており、上忍二人がつるんでいても目立つことはまず無いだろう。
「あんた、こじゃれたとこ知ってんのね。」
「いいとこデショ。じゃ、生還と再会を祝して。」   
あたし達は木の葉の定番の地酒で祝杯をあげた。
しばらくはお互いの近況について、共通の知り合いの近況について語り合っていたが、話題が一段落した所でさっきカカシと立ち話していた男について話題を振ってみた。
「ああ、イルカ先生。今受け持ってる部下の恩師。」
「部下ぁ!?」
まずこっちに驚いた。
「あんたが部下を持つなんて今まで聞いたことなかったね。」
「ま−ね。ここ二三ヶ月の話だけど。これが手が掛かってね−。一人でSランクの任務についたほうがよっぽど楽。」
口とは裏腹にカカシはその部下達を思い出しているのか、さも楽しげに含み笑いをした。
心境の変化はこれかな。纏っている雰囲気がやわらかくなったというか・・・。
「楽しそうだね。カカシ。」
「全然、たのしかな−いよ。」
あたしはカカシの変化を嬉しく思った。出会った頃から今までいろんなことがありすぎた。
でも、今はカカシを頼る、カカシを必要とする人間が傍にいるらしい。
「その、イルカ先生ってさ、どんな人?」
「ん−、いい人だね。」
話はこれ以上広がらなさそうだ。まあ、アカデミーの教職員ということは分かったので、明日在籍名簿でも調べてみよう。
などと、あたしは今後の動きをあれこれ考えていた。
「遊ぶだけなら、イルカ先生はやめといて。」
突然あたしの考えを見透かすようにカカシが口を開いた。
「・・・・何よ、カカシともあろうものが無粋な事言うじゃない?」
あたしは一週間の休暇を取った後また新たな任務で木の葉を離れる。任務の緊張感から離れ、適当な男でも見繕って、次回の任務に備え英気を養おうとは思っていたのだけど。
「イルカせんせ、いかにも免疫なさそうなんだもん。イキナリに取って喰われるんじゃ気の毒だなぁ。」
カカシは自分のことを棚に上げずけずけと言う。16歳のとき100人斬りを達成していたカカシに比べれば、あたしなんてかわいいもんである。
「それにね、イルカ先生に何かあったら部下が悲しむしね。」
結局そこか。
「じゃあ、カカシがあたしの相手してくれる?・・・久しぶりにどう?」
あたしはカカシの右の碧眼をじっと見つめ艶やかに微笑んで見せた。この笑みで大抵の男は落ちるのだが・・・
「断る。と一晩過ごすなんて骨までバリバリ食べられそうでおっかないから♪」
即答だ。カカシにはこの攻撃はとっくの昔に効かなくなっているのだ。若気の至りで昔色々あったりもしたが、今はカカシのことを一生付き合える友人とあたしは位置付けている。
「わかったわよ。そのイルカ先生とやらには手は出さないから。」
一応、カカシにそう言っておく。
でも、彼には借りがある。食事に誘うくらいいいだろう。まあ、その際に酔った勢いでどうにかなっても、それは大人同士。お互い割り切って別れる事も出来るだろう。今思い返しても、いい男だった。よし、明日会いに行こう。
あたしは物凄い勢いで明日の予定を組んだ。
カカシは明日早いというので、あたしが里にいるうちにもう一回会う約束をしてその日は別れた。


翌日、あたしは職権乱用して役所から職員名簿を持ち出し昨日の男の事を調べていた。
『うみのイルカ 25歳 現在中忍 ・・・・』
何の意味があるのか食べ物の好みから、趣味まで事細かなデータが載っている。まあ、手持ちの情報は多いほうがいい。趣味が湯治なんて(あたしよりも4つも年下なのに)今まであたしの周りにいないタイプだ。
ふうん、取りあえずアカデミ−に行ってみるか。
あたりは昨日と同じように夕闇に包まれつつある。アカデミーと役所は総合受付窓口を中継点にして一つの大きな建物になっている。私は真っ直ぐアカデミーの職員室に向かいイルカの事を訊ねた。ラッキーなことにイルカはまだ帰っていないらしい。実技準備室にいるはず、ということであたしはイルカのもとに向かった。アカデミーなんて卒業してから一度も立ち寄ったことは無かったが、準備室までの道順は身体が覚えていて迷うことなく辿り着いた。
入り口の引き戸は開け放たれていた。中の様子を伺うと、窓から西日が差し込んで赤く染まる準備室の中で黙々と作業を続ける人影がある。あの、頭のてっぺんで髪を結んでいるシルエット、間違いない。
「イールカ先生。」
人影は作業を中断し、こちらを振り返った。戸棚の陰から差し込む夕日の中に姿を現したのは、やはり昨日の男だった。
上忍、どうされたんですか?」
「驚いた。あたしの名前を知ってるなんて、光栄だわ。」
「今朝の窓口では、上忍が帰られた話題で持ちきりでしたから。任務、お疲れ様でした。」
男は最初は少し驚いた様子だったが、昨日と同じ気持ちの良い笑顔を見せる。
ああ、そうか。あたしに順番を譲ったこの男は今日も受付に行ったんだものね。
「昨日は助かったわ(色々な意味で)。どうもありがとう。」
「あ、いえ、オレのは急ぎの書類じゃなかったし。」
「それでね、イルカ先生今夜は暇?ぜひ昨日のお礼がしたいんだけど。」
「ええっ!そんな!!それじゃかえってこちらが申し訳ないです!!」
イルカは頭を掻きながら、もう一方の片手は前に突き出して手を振る典型的「申し訳ないリアクション」を見せる。
やっぱり、面白いなあ、この人。
「ふふ、実は急な休暇で、二年ぶりに帰ってきたもんだから知り合いもつかまらないし、退屈なのよ。一人で食事するのも寂しいし、あたしを助けると思って付き合ってくれない?」
「そういうことなら・・オレなんかでよければ。」
イルカの承諾をもぎ取ったあたしは、彼の作業が終るまでしばし待ち、その後イルカを連れて繁華街に向かった。


店を選ぶのも面倒くさく、結局昨日カカシといった店で食事をすることにした。席に通された後もイルカはなんとなく落ち着かないようだ。軽く緊張しているのが伝わってくる。
たしか好物は一楽のラーメン・・・この店じゃ敷居が高かったかな?ま、酒でも飲ませて緊張をほぐしてやればいいでしょ。
「まま、イルカ先生楽にして?今日も一日お疲れ様。かんぱい♪」
あたしは勢い良く、イルカはぎこちなくグラスを合わせた。
学校のこと、生徒のこと、趣味のこと、あたしはテンポ良くイルカに質問し、タイミングよく合いの手を入れ、頃合を見計らってはイルカのグラスに酒を注いだ。あたしのマメな働きにより小一時間もするとイルカの緊張はすっかりほぐれたようだ。
「でも、上忍どうして俺がアカデミーの教師だってわかったんですか?」
「じつは、昨日偶然イルカ先生とカカシが立ち話をしているのを見かけてカカシに聞いたのよ。」
「あ、そうだったんですか。ところで上忍、先生はやめてくらさい。」
お、ろれつが怪しくなってきた。
酒がまわってきたらしいイルカにあたしは内心ほくそ笑んだ。
「分かったわ、イルカ。じゃあ、あたしのことはって呼んで。」
据わりかけていたイルカの目が急にしっかりと見開かれた。
「それはできません。上忍は直接のつながりがなくてもオレの上官です。生徒の模範となるべきオレが進んで忍の規律を乱すことは出来ません。」
より親密になろうと振った言葉でイルカを正気に戻らせてしまった。思わず小さく舌打ちをする。
「それでは、上官命令よ。あたしのことはと呼びなさい。」
「そ、それは・・。」
。」
・・・さん。」
イルカの生真面目さが微笑ましくて、その不器用さが無性に愛しくなって、意識せずに昨日カカシに放ったキラースマイルをイルカに送ってしまった。途端にアルコールのために朱に染まっていたイルカの顔がますます赤くなった。免疫が無い(ついでに酒にも)というカカシの言葉は本当だったらしい。
ああ、イルカってば想像以上にかわいいなあ。欲しいなあ。
あたしのハンティングモードのスイッチは思いっきり入ってしまった。


その後勘定を済ませ(イルカも払うと言い張ったが、強引にあたしが払った。)店の外に出た。イルカは家まであたしを送るという。上忍エリートの身を案じ、中忍が夜道を護衛するというのも笑える話なのだが、あたしはその申し出を素直に受けた。
並んで歩く中、あたしはイルカのことを盗み見る。鼻筋はスッと通っている。顔を二分する傷跡も滑らかで触れてみたくなる。髪と同じ色をした漆黒の瞳は一重ですっきりとしていて、それを縁取るまつげは意外と濃く長い。今現在教職についているとはいえ、忍だ。忍服の下の身体が十分に鍛えられていると傍目から見て容易に想像できる。
あたしは思わずイルカに無言で見蕩れてしまう。
様子を訝しんだイルカは、右下に目線を落とし、あたしと視線を合わせた。
「どうかしましたか?」
あたしは無言でイルカの目を見つめたまま、イルカの指に自分の指を絡ませた。指からイルカの動揺と身体の強張りが伝わってくる。明かりは月夜だけで正確にイルカの表情を窺い知ることは出来ないが、それでもあたしの家に着くまでイルカは手を解かなかった。

家に着いてから、役目を終えたとばかりに優しく手を解こうとしたイルカを、あたしは思い切り引き寄せた。不意をつかれてイルカはあたしを抱きとめる形になる。イルカの胸の中であたしは囁いた。
「イルカ、今夜一緒にいて欲しい。」
これで据え膳食わなきゃ男じゃないっつの!!
内なる自分が雄叫びをあげたとき、イルカはそっとあたしを引き離した。
さん、自分を大切にしてください。男はみんな狼なんですよ!?そんなこと昨日今日会った男に言ったら駄目です!」
はあ!?
あたしの口元は緩み、馬鹿みたいにパカッと口が開いてしまった。
こいつはあたしが、10代の生娘だとでも思っているのか?それとも遠まわしに断っているのか?
恐る恐るイルカの様子を見てみるとあたしの両肩に手を置いて、凄く真剣だ。
ああ・・・、本気で言ってるんだ・・・。
驚愕と落胆と同時に、何ともいえない穏やかな、今まで味わったことのない感情が広がってくる。
今日の強行突破は無理そうだわ。
あたしは潔くあきらめた。
「分かった。今日はもう部屋で休むわ。」
「そうして下さい。」
イルカは少し、微笑んでいる。
「イルカも、狼なの?」
月明かりの下でも判るほどにイルカは赤面する。
「そ、それは!一応オレも男ですから!!」
慌てふためくイルカを見ながら、ほんとにこの人はかわいいなあ、とあたしは思った。
「イルカ、今度はあんたが御飯ご馳走して?」
「いいですとも、何がいいですか?」
「一楽のラーメン。」
「ラーメンでいいんですか?」
「久しぶりに食べたいから。」
こんな会話を交わす頃には、イルカの私に対するいろんな構えがほとんど無くなっていた。それをあたしは素直に嬉しいと思った。
明日の夜はラーメンを食べる約束をしてあたしは部屋の中に入った。あたしが部屋に消えるまで玄関のポーチにずっと立っているイルカを感じた。
このあたしが男と飲んだ夜に独り寝するなんて・・・。
その夜はイルカの指を忘れないように思い出しながら眠りに落ちた。