次の日、アカデミーの待合室でぼんやり待っていると、少し約束の時間が過ぎた頃にイルカがやってきた。騒がしい気配に振り向くと、イルカの首に黄色い髪の子がまとわりついている。
「すいません、遅くなりました。」
「オレも!オレも!ラーメン食べたいってばよー!!」
遅れた原因はこいつか。
人の良いイルカは無下に断れず、ここまで連れて来てしまったのだろう。
「あの、すみません。実はこいつとも前から約束してて。」
本当に申し訳なさそうに眉尻を下げてイルカが切り出した。微妙な空気を察知したのか、黄色の髪の子も大人しくなりイルカに抱きつきながら不安そうにあたしを見る。
ここで子供を帰すほどあたしも鬼じゃないっつの。
「どうやらそっちが先約みたいだしね。今夜あたしも一楽、一緒に行ってもいい?」
安心させるように子供の顔を覗き込んであたしは微笑んだ。子供の顔が春の日が差し込むように輝く。
「もちろんだってばよ!!オバちゃん!!」
ゴチイィン!
子供が叫ぶやいなや、イルカの拳骨が子供に落ちた。
「ばか者!失礼な事言うんじゃない!お姉さんと呼べ!!」
「ご、ごめんなざい・・オネエザン。」
頭を押さえながら子供が先の発言を訂正する。イルカの意外な一面を目の当たりにして、あたしは大笑いしてしまった。
「あはは。気にしないでよ。子供から見たら30歳も50歳も同じオバさんだもんね。」
「そんなことないです!・・・さんはとても綺麗です。」
・・・今、イルカ、何て言った?
思いもよらないイルカの先制パンチ(しかもシラフ時)をノーガードで受けたあたしは、イルカを見つめたまま動けなくなってしまった。イルカもあたしを見つめたまま動かない。もしかして、あたしの顔、赤くなったりしてないだろうか。
「腹へったってばよ!イルカ先生早く連れてってくれよ!」
思わず身体がびくりとしてしまった。子供の声を合図に、止まっていた二人の時間が動き始めた。
「そ、それじゃあ、行きましょうか。」
「うん、行こう。」
イルカは今ごろになって真っ赤になっている。子供はラーメンを食べられる喜びを爆発させて相変わらずイルカの首といい、背中といい抱きつきまくっている。イルカは非常に歩きにくそうだが拒むこともなくナルトをそのままにしている。教師と生徒というよりも、兄弟のようだ。
イルカから簡単に子供を紹介された。名前はナルトといって、もとは自分の教え子。今はカカシの部下になっているのだそうだ。この屈託のない明るさがカカシを救っているのかも知れない。
一楽の屋台に着いて、あたし達が座れば一杯のカウンターにナルトを挟んで陣取り、3人でラーメンを食べた。食べている間もナルトはハイテンションで任務のこと、修行のこと、カカシの事、喋り通しだ。イルカは穏やかな表情で静かに聞いてやっている。今日のイルカは生徒から慕われ、信頼されている教師の顔だ。昨日と全く違う顔を見せるイルカにあたしは引き付けられるように見入ってしまう。なんて優しい目でナルトを見るんだろうか。
あたしはナルトに聞いてみる。
「ナルト、イルカ先生のこと好き?」
ナルトはラーメンを食べる手を止め、ちらりとイルカを見やってから答えた。
「うん!!」
ナルトは顔をくしゃくしゃにして満面の笑みを見せてから、またラーメンに取り掛かる。片肘をカウンターについて会話の成り行きを見守っていたイルカもとても嬉しそうに笑みを浮かべた。穏やかに時間は流れていく。
ナルトの言葉はあたしの心に響いた。
ナルトの話す言葉は裏表も計算もない、真っ直ぐ心に届く言葉だ。そしてイルカの言葉も。あたしは昨日、イルカに対して駆け引きばっかりしていた自分を思い出し、少し嫌になった。そして、なんだか少し落ち込んでいる自分に気がついて驚いた。
ラーメンも食べ終わり、二人でナルトを家まで送った。ラーメンを食べただけなので時間は8時をまわったばかりだった。ひそかに次の展開も期待していたが、イルカはあたしのことも家まで送るという。
うん、そうだよね。もともとラーメン食べる約束だけだったしね。イルカは酒弱そうだし、『もう一軒どうですか?』なんてセリフ出てこないわよね。
内心落胆しつつ、あたしは今日も大人しく送られることにした。さっきのイルカとナルトの心洗われるようなやりとりに、昨日までの勢いも無くなってしまった。今夜はなんとなく手をつなぐ事も出来ず、とりとめなく会話を交わすうちあっという間にあたしの家に着いてしまった。
仕方なくお休みの挨拶をする。
「イルカ、今日はありがとう。ご馳走様。」
「こちらこそ、ナルトに付き合わせる感じになっちゃって、すみませんでした。」
「いいのよ。」
あたしは笑って答えた、が、これ以上会話が続かない。イルカも黙ったままこちらを見つめるばかりだ。あたしは諦めて家に入ることにした。
「それじゃ、イルカ、おやすみなさい。」
くるりと踵を返して歩き出したあたしを突然イルカが呼び止めた。
「さん!」
「・・・?どうかした?」
「あのっ・・。明日の夜はヒマですか。」
あたしは軽く息を呑む。
「ヒマ・・ヒマだけど。」
「あの、今度はちゃんと、食事をご馳走させてください。」
「・・・・喜んで。」
実は、それからあたしはイルカと何を話したか、あんまり覚えていない。どうにかこうにか明日の待ち合わせ場所と時間を決めて、今度こそお休みの挨拶をして、あたしは部屋の中に入った。イルカは昨日と同じくあたしが部屋に入るまで見届けてくれた。
部屋に入る前も入ってからも、分厚く敷き詰めた綿の上を歩いているかのように足元がおぼつかない。呼吸も変に浅くて息苦しい。酒を飲んだわけでもなく、シラフなのに不思議だ。
あたしはどうしたというのだろう。
そのあと一人で飲んでも全く酔えず、ベッドに潜り込んでもなかなか寝付けなかった。
それからあたしとイルカは、次の日も、そのまた次の日も、昨日の食事のお礼に、と、お互いに奢りあい、結局最初の食事の日から毎晩会っていた。
イルカの仕事が終るのを待って落ち合い、軽く飲みながら食事をして、夜の10時前にはイルカに送られて自宅に帰る。あたしは最初に食事をした日のように、イルカに触れる事はもう出来なかった。ただ、食事をして、送ってもらうだけ。それだけのことなのに、その日の夜の約束を考えて日中はずっとぼんやりしてしまう。
でも、そんな日々も終わりを迎えようとしている。
私が再び任務につく日は明後日に迫っていた。
休暇に入って6日目、次の任務の指示を受けたその帰り道、ばったりカカシに会った。カカシも火影に用事があったのだそうだ。昼下がり、お互いにぽっかり時間が空いたので、茶でも飲もうということになった。(時間が早く、酒を出す店はまだ開いていなかったのだ。)歩いてすぐのアンコが行きつけの団子屋に入った。
「もう一回くらい酒でもと思ったんだけど、、夜は忙しいでしょ?」
「・・・・。」
「イルカ先生、いい男でしょ?」
「・・・別に、遊んだりはしてないわよ。」
こいつ、知ってて面白がってる・・・。
正面に座ったカカシは腕組してニコニコしながらこちらを見ている。むかつく。
「今夜も会う約束してんの?」
「・・・・まあね。」
イルカの話はもう止めて欲しい。最近あたしは変だ。イルカのことを考えると顔が火照って熱っぽくなるようで、呼吸も浅くなって、なんとも居心地が悪い感じがする。ほら、もう何だか顔が熱くなってきたし。ああ、熱いお茶じゃなくて、水が飲みたい。
そこでカカシはさらりとあたしに爆弾を投げつけた。
「、それ、初恋だな♪」
一瞬間を置いて、あたしは自分の顔と耳まで真っ赤になってしまうのを感じた。鏡を見るまでもない。何か言い返そうにも、口はむなしく開閉を繰り返すだけで何も言葉は出てこなかった。
「あははは♪ごめん。ごめん。でも、良かったな。」
カカシはさっきの面白がる様子ではなくなっていて、今は静かにこちらを見つめている。
「人のことは言えないけど、お前はさ、どこか刹那的なところがあって、男関係が派手なわりに、特定の男を作るということもなかったし。周りの人間とそこそこうまく付き合うけど、深く接することもない。全てに対して執着することがなかっただろ。自分の命に対してさえも。」
あたしは否定できなかった。
「だから、オレとしては安心してんの。お前もう、うかうか死んだり出来ないでしょ?」
本当に、返す言葉もなかった。あたしは素直に認めた。
「うん、そうだね。あたし今、死ぬのが怖いよ。」
イルカともう会えなくなるとしたら。イルカの知らない場所でひっそりと死ぬことになったら。想像するのも怖い・・・・。
小さくカカシがつぶやいた。
「うん、オレも怖い。」
少し驚いてカカシを見る。その表情はさっきと変わらずに静かで、カカシの考えを読み取ることは出来なかったけど、あたしはあえて何も聞かなかった。カカシにも大切な人が出来たのだろう。
「任務のこと、イルカ先生に言ったか?」
「いや、まだ言ってない。」
「そうか、ま、お前次第だけど、任務につく前に気持ちの整理つけとけよ。」
「カカシ、ありがとね。」
「大じょ−ぶ!お前今すっごくかわいいから。・・・・また、会おうな。」
「うん、また・・・。」
カカシは笑顔をひらめかせて、ぽんぽんと二回軽くあたしの頭をたたくと二人分の会計を済ませさっさと店を出て行ってしまった。
あたしは今夜、イルカに任務のこと、そしてあたしの気持ちを打ち明けることを決めた。
今夜イルカは少し仕事が遅くなるという。そこで今日は、あたしは先に店に行きゆっくり飲みながらイルカを待つことにした。ここはあたしがまだ下忍でお金もなかった頃から良く通っていた居酒屋で、料金のわりにはそこそこいい酒と、美味い料理を出す。少々騒がしいのが気になるが、イルカは小奇麗な店よりはこういう居酒屋のほうが落ち着けるようなのだ。
しばらくカウンターで飲んでいると、だんだんうるさい視線が気になってきた。席のあちらこちらから、あたしを盗み見る気配を感じる。あたしは軽くため息をついた。里に駐在している上忍たちならともかく、里に寄り付かない上忍エリートのあたしは、たまに里に帰れば格好の噂の的になるのだ。任務遂行におけるあたしの力はもちろんのこと、あたしの過去の男の遍歴など、噂は尾ひれが付いて一人歩きしているらしい。あたしはそんな鬱陶しさには慣れていたが、イルカにはそんな噂、死んでも聞かれたくない。イルカが店に来たらすぐ場所を変えよう。そう考えていたとき聞き覚えのある声がした。できれば聞きたくは無かったのだが。
「よお、、久しぶりだな。」
あたしは答えずに真っ直ぐ正面を向いたまま酒を飲みつづけた。こいつとはあたしが中忍の頃何回か組んで仕事をしたことがある。そして何回か寝たことも。まだ若かったあたしはこいつの優しさや、マメさを大人の男の包容力と勘違いしてしまった。でも優しさは優柔不断の、マメさは歪な独占欲の裏返しだと気付くのに、いくら若く頭の悪かったあたしでもそうは時間がかからなかった。その後どんどん昇格していくあたしにこいつは執拗に付きまとい、掌を返したように嫌がらせをしてきた。本当にこいつは下種だ。上忍に上がり、あたしはすぐ里に居着かなくなって、こいつとも会わずに済んでいたのに。
「何だか最近中忍のガキとつるんでるそうじゃねえか。」
「・・・。」
「そんなに飢えてんなら、俺が慰めてやるぜ?昔のように何度でもよう。」
これ見よがしにこのクズは大声で話し続ける。
下碑た笑い声が耳障りだ、自分を押さえるのも限界のようだ。
「・・・・あぁ!?その祖○ンであたしを慰めるだと!?まだその粗末なもんは勃つのかよ、くそジジイ!!」
あたしは一気に感情を爆発させて、そのろくでなしと対峙した。店の中は水を打ったように静まり返ったが、あたしはもうどうでも良かった。殺気だって立ち上がるあたしを見て、そいつはあからさまに及び腰になる。足早に店の出入り口に向かうと最後に捨て台詞を吐きやがった。
「へっ、よう。どうせ中忍のぼうずも気まぐれだろ?お前は男に本気にはならねえからな。まあ、そのガキに飽きたらいつでも俺の所にこいや。」
あたしがリアクションを起こす前に逃げるようにそいつは店の外に消えた。物凄い形相で店の出入り口を凝視していたあたしは、クズと入れ違いに戸口に立った人を見て今度は体中の血の気が引き倒れそうになった。
イルカが立っていた。
最悪の事態にあたしは身動き一つ取れない。
イルカはあたしをひたと見つめて小さく微笑むと、くるりと背中を向けて店の外に出て行ってしまった。
意思の力を総動員してあたしは何とか身体を動かす。
「おっさん!今日の分、カカシにツケといて!!」
店主に叫んであたしは店の外に飛び出す。素早くあたりを見回し、右手20mほど先を歩くイルカを見つけた。あたしは全速力でイルカに追いついた。
「イルカ!!」
イルカがこちらを振り向いたとき、あたしは思わずイルカの両手を掴んでいた。
悲しげに笑うイルカを見て胸が締め付けられる。
「・・・オレ、楽しかったです。この五日間、ガキみたいに舞い上がってしまって。馬鹿みたいですよね。上忍でエリートで、あなたみたいに綺麗な人がオレなんか、相手にするわけ無いのに。」
「違っ・・・。」
違う。否定の言葉を口にしようとしてあたしは凍りつく。イルカにあたしの言葉は真っ直ぐに届くのか。裏と表を使い分け、駆け引きだらけのあたしの言葉はイルカの心に届くのだろうか。
成す術も無く、イルカの漆黒の目を見つめたままあたしは立ち尽くした。
イルカ。お願いだから、嫌いにならないで。
あたしのことを嫌いにならないで。
「・・・っ!」
不覚にもあたしの目からは涙が零れ落ちてしまった。
イルカは目を見張ってこちらを見つめ返している。
「イルカ・・今まで、ありがとね。」
あたしは何とか笑顔を作ろうとして、失敗し、そのままイルカの前から逃げ出した。半瞬遅れてイルカがあたしの後を追うのに気付いたが、あたしは振り切った。追いかけて欲しくて、それでも追いつかれるのが怖くてあたしは夢中で走りつづけた。
ふと気が付くと、イルカの気配はすでに無く、あたしは独りぼっちになっていた。
里から少し離れた小高い丘の上。真っ直ぐ目を向けた先には真正面に火影の顔岩が見える。
短い草に覆われた丘には一本だけ桜の木が生えている。でも残念なことに花の季節は終わり、緑の葉に木の枝は覆われている。小さな子供の頃、落ち込むことがあればあたしはこの桜の木によく会いにきた。もうこの場所は卒業したつもりだったのに。
桜の木の根元に腰掛け月を見上げる。今夜の月の光は目に痛いほど明るい。あたしはまた流れ出す涙をそのままに、風に揺れる葉の音を聞きながら目を閉じた。
キレイで真っ直ぐなイルカ。あたしはやっぱりイルカに近づくことが出来なかった。
どれくらいそうしていただろうか。気が付くとこちらに向かって草を踏みしめながら近づいてくる足音がする。気配を殺すことも無くその足音は真っ直ぐこちらに近づいてくる。
この五日間の間に覚えてしまった、ちょっと癖のある足音。
あたしは身を硬くしたまま目を開けることが出来ない。
「オレが・・泣かせてしまいましたか?」
頭上から優しい声が降ってきた。
「オレが・・泣かせたと、自惚れていいんですか。」
そっと目を開けると月の光を背に目の前に屈みこんでこちらを見下ろしているイルカがいた。
「上忍のあなたにオレが追いつけるわけ無いです。少し、探すのに苦労しました。」
言いながらイルカはあたしのすぐ横に腰を下ろす。見ると結構汗だくになっている。あちこち探し回ってくれたのだろう。あたしはさっきとは違う感覚で胸を締め付けられる。少し息が上がっているイルカが落ち着くまで、あたし達は黙って里を見下ろしていた。
「オレは、前からあなたの名前は知っていました。もちろん、いろんな噂も。アカデミ−にいれば嫌でも耳に入ってきてしまうんです。正直最初は・・・からかわれていると思いました。でも、ナルトに対するあなたの態度を見て俺はもっとあなたを知りたいと思ったんです。」
イルカがこちらに座ったまま向き直った。
口から心臓が飛び出すとはこのことだろうか。あたしはありえないことを予期して思わず胸を押さえる。今はもう、イルカの声と自分の心音しか聞こえない。
「オレは、もう噂なんか気にしませんから。これからはそのままのあなたを見ていきます。」
イルカの真っ直ぐな言葉は、暖かくあたしの心を満たしていく。
ああ、嬉しくて泣く事って本当にあるんだなあ・・・。
男の前で泣く事自体初めてのあたしは、箍が外れてしまったように涙を止められない。
「ああ、また・・。」
また泣き出したあたしを見て、イルカは少しためらいながらあたしの顔に手をのばし親指で涙を拭う。
「あの・・・失礼します。」
イルカは律儀に断りを入れてから、あたしを抱き寄せた。自分の足の間に抱え込むようにしてあたしを引き寄せる。そのまましっかりと抱きしめたまま、優しく背中を撫でてくれる。
あたしはようやく口を開いた。
「イルカ、今夜一緒にいて欲しい。」
イルカは黙ってあたしの顎に手をかけ上に持ち上げると、今度は断ることなくあたしに口づけをした。唇と唇が触れるだけの優しいキス。初めて味わう浮遊感だった。キスだけでこんなに気持ちいいなんて。
イルカはまたあたしを抱きしめ直す。
「はい、傍にいますから。」
あたしは全身の力を抜いてイルカに身体を預ける。
「イルカ、あたしは、明日の夜には木の葉を離れる。でも、必ずまたイルカに会いに来るわ。」
イルカの腕に力がこもった。
「約束するから。」
「はい、待っています。」
あたし達はその場から動くことが出来ず、しばらく月の光に照らされていた。
あたしには生きて帰る理由がはじめて出来た。
