火の国の国境を越えたばかりの緑濃い森の中。音も無く幾つかの黒い影が移動している。
速さは衰える事は無いがその影は一つ、また一つと消えていく。
「はっ・・はっ・・・はっ・・・。」
堪えきれずに漏れ出した浅い呼吸は、体力の限界を示していた。

「・・っ・・上忍!!」
「・・・・うん?」
男の必死の呼びかけに、夜通し走りつづけていたあたしは手ごろな枝の上に降り立ち、後ろを振り向いた。
「もう・・俺も限界です。」
進んできた道を振り返り見やると後方には里の優秀な(はずの)忍達が点々と倒れていた。
最後までついてきた中忍の男も力尽き、踏み止まっていた木の枝からどさりと地面に落下した。
「あのさあ・・・任務が終わった時点で現地解散したじゃん。後からゆっくり帰ってこいって言ったよねえ?チャクラ切れで倒れられてもあたし困るなあ。」
地面に落下した中忍はそれでも意識は手放さず、涙目になってあたしを見上げている。
(そんな顔されてもあんたはイルカじゃないから可愛くない・・・。)
内心あたしは舌打ちしながらも今回の任務の部下達を捨てておく訳にもいかず、手持ちの忍犬の中から小回りも利き、足が早い奴を一匹口寄せした。
私が登っている木の根元にボフンと小さな煙とともに真っ白な足の短い中型犬が現れる。
「よっ。クルタン久しぶり。」
クルタンは久しぶりの任務に胸を膨らませ、黒いまん丸の目はキラキラ輝き、千切れんばかりに尻尾を振っている。
「あんたの足、頼りにしてるよ〜。これ医務室の医療班に渡してね。」
簡潔に記した文章に自分の署名と血判を加えた巻物をクルタンに放り投げると、それをダイビングキャッチしたクルタンは飛ぶように里の大門に向かって駆けていった。
「あんた達の事は医療班が回収にくるから。あたし先に行くよ。」
「・・・上忍・・・。」
まだ男は縋るようにあたしを見る。
「ああっ!?もう!!なんなの!?あと四時間もしたらイルカがアカデミーに出勤しちゃうっつーの!!もしすれ違いになったりしたらあんた達の事ぜったいに許さないわよっ!!」
「あのもっさりした男のどこがいいんですか・・・。」
・・・自分で言うのは許せるが、他人が言うのは我慢が出来ない。
「五月蝿い。死ぬか?」
「!!!」
カッと乾いた音をさせ、男の右耳を僅かに掠めつつ、あたしの手から放たれたクナイは木の幹に突き刺さった。
ヒュウッと息を吸い込む音をさせて男は白目をむく。
クナイには今回の任務の報告書が結び付けてあった。
本当は下まで降りて行って5・6発ぶん殴ってやりたいが時間が惜しい。今回はビビらせる位で勘弁してやる。
「報告書、医務室行くついでに出しといてくんない?じゃ、おつかれ。」
男の意識は飛んでしまったようだが、まあ、医療班が報告書も拾っていくだろう。
うっとうしい部下達からようやく開放され、あたしはチャクラをギリギリまで開放して里へ急いだ。


イルカのアパートに辿り着いてからあたしは自分自身の最終チェックをする。
返り血は、自分の家でシャワー浴びて綺麗にした。髪は濡れ髪のままだけど、しょうがない。
ノーメイクでも見苦しくないように眉毛は完璧に整えたし、ほったらかしだった顔の産毛もきっちり剃った。全身脱毛も完璧。
今着ているのは忍服のアンダーウェアの上下という色気の無い格好だけど、あたし服って忍服以外持ってないんだよね・・・・。
襟をぐっと広げてアンダーの中に鼻を突っ込み匂いを嗅いでみた。
うん、ほのかに石鹸の香りがするし、アンダーはきちんと洗濯されてる物だし、OKでしょ。

あたしは合鍵を使ってそっとイルカの部屋に入る。
玄関は半畳位のスペースで、入ってすぐに四畳位の広さの台所と、仕切りもなく続いている八畳ほどの畳敷きの居間が見渡せる。
そして居間から続く短い廊下から、トイレ、風呂、寝室へ行けるようになっている。
うっすらとしか記憶は無いけど、小さい頃に住んでいた家と雰囲気が似ていてあたしはイルカの部屋が好きだ。
物音を立てないように気をつけながらするりと寝室に入り込む。
外はだいぶ白みはじめていて寝室はぼんやりと明るくなってきていた。
イルカは窓際のベッドで行儀よく布団を被り、規則正しく寝息を立てている。あたしは静かに、でも気配は消さずにいるかの枕元に移動して顔を覗き込んだ。
あ〜あ、仮にも忍なのに。イルカってば気配消してないのに全く気付かないし。
瞼を閉じているとイルカの奥二重のラインがはっきり見える。睫は短いけど濃いんだよね。目のキワを縁取る濃い黒はイルカの表情に穏やかな中にも意思の強さを漂わせる。
唇は薄くもなく、厚くもなく。適度に弾力があってキスをするとすごく気持ちがいい。
顔を上下に二分する傷は不思議な事に、逆に人懐っこい印象を与える。
ああ、イルカの顔がすごく好きだ。触りたいなあ。
あっ!?うわあ!イルカ・・・パジャマ着てるよ。
あたしなんか一人寝のときは素っ裸だよ・・・・。
紺色で肌触りの良さそうな木綿のパジャマ。でも、きちんとしてそうなのにボタンが上から二つくらいまで外れている所がまた、なんとも・・・。
二週間ぶりに拝むイルカの鎖骨におもわず目が釘付けになってしまった。
あたしはベッドの脇にガクリと膝をつく。眠っているだけなのにこの破壊力・・・。
まいった・・・イルカ、可愛すぎる・・・・。

もう少しで太陽も昇り始める。あたしはイルカを起こすのもしのびなく、ベッドの脇に膝を立て座り込んで自分の腕を枕に目を閉じた。
そういえば、昨日もほとんど寝てなかったな。あたしはあっという間に眠りに引き込まれてしまった。


心地よい暖かさに全身をすっぽりと包まれていた。
う〜ん、気持ちよすぎる。ずっとこのままごろごろしていたい。
・・・イルカの匂いがする。
・・・んん・・・?
ゆっくりと意識が浮上していく。後ろから回された腕があたしの胸の前でしっかりと交差している。少し身じろぎすると、その腕の力が緩んだ。
あたしはぐるりと身体を反転させると思い切り腕の主を抱きしめる。女の自分とは全く違うしっかり鍛えられた筋肉の付いた体。その向こうから聞こえる確かな心音にほうとため息をつく。
「おはよう、さん。」
イルカはあたしの髪をかきあげて額に軽くキスをした。あたしは思わず笑みをこぼす。
以前はまるで腫れ物にでも触るかのようにおっかなびっくりだったのだが、ようやくイルカはためらい無くあたしに触れてくれるようになった。それがひどく嬉しい。
「・・イルカ、アカデミーは?」
「今日は休みです。」
「・・・金曜日なのに?」
「今日は土曜日ですよ。」
!!!!!
何だと――――!?あたしは勢い良く半身を起こした。
イルカの部屋に来たのは金曜日の早朝だった。素早く窓から外へ視線を走らせると太陽は頂上へ上り詰めた後で、日没には間があるが明らかに傾きかけている。
「うう〜〜・・・。」
あたしは自分の寝汚さを呪った。今回の休暇は四日間。すでに今日で折り返しじゃないか!
イルカが休みの週末は目も当てられないほどイチャこらしようと思っていたのに!
さん!?どうかしましたか?」
イルカはあたしが突然悶絶し始めた事に驚いて、ただでさえ小さな黒目がますます小さくなっている。物凄い三白眼だ。でもそんなイルカに構う余裕はあたしには無い。
よし、今夜と明日一杯は寝過ごした一日を挽回するほどに二人で濃い〜時間を過ごす!
「イルカ!!」
あたしが熱い決意を胸にがっしりイルカの両肩を掴んだとき、玄関からけたたましくドアを叩く音が鳴り響いた。
しばし顔を見合わせたのち、玄関へ向かうイルカの後をあたしもついて行く。
「はいはい、どちらさま?」
イルカがガチャとドアを開けると金色の塊が勢い良く飛び込んできた。イルカは腰で受け止めて軽くよろける。
「イルカ先生!ひさしぶりだってばよ〜!!」
「!!ナルトォー!元気そうだなっ!」
昼下がりの訪問者は少し日に焼けたナルトだった。
イルカはナルトの頭をガシガシと撫でてやる。
二人はお互いの事が大好きで堪らないといった気持ちのいい真っ直ぐな笑顔を浮かべている。
「とっ・・。姉ちゃんもひさしぶり!」
ナルトはニカッとあたしにも笑顔を向けてくれた。あたしもつられてニカッと笑う。
「お帰り、ナルト!」
「うん、ただいま!イルカ先生、これお土産。姉ちゃんと二人で分けろってば。」
ナルトはポーチから小ぶりな巾着を取り出してイルカに手渡す。
イルカからナルトが国外へ長期任務に出ていることは聞いていた。きっとナルトは里に帰ってから真っ直ぐにイルカのアパートに来たのだろう。
カカシが引率の元のCランク任務だったからあたしはさほど心配はしていなかったが、イルカは変わらずに元気な姿を見せてくれたナルトに心底安心したようだ。
「それじゃ、俺帰る。」
くるりと踵を返すナルトの襟首をあたしはひょいと持ち上げた。
ぐえっ!と蛙のような声を上げるナルトに構わずあたしはナルトの体に両手両足を巻きつけて、ごろりと台所の床に転がった。
「ナルト〜、随分つれないじゃない?今夜はイルカの家でご飯食べてくわよね?ついでに泊まっていくわよね〜?」
姉ちゃん、ぐ・・ぐるしい。死ぬってば・・・。」
イルカは苦笑しながらナルトに助け舟を出す。
「ナルト、さんの言うこと聞いた方がいいぞ。」
「姉ちゃん、わかっ・・わかったってばよ!」
あたしがパッと両手両足を開放すると、ナルトはころりとあたしの体の上から床に転がり落ちた。
「・・まったく、しょーがねえなあ!泊まっていってやるってば!」
ニシシとナルトは笑う。
ナルトの鼻が少し赤くなっているのはあたしがさっき締め上げたからではなく・・・・。
口とは裏腹なナルトの押さえきれない喜びが伝わってきて、あたしは何だか胸が熱くなってしまった。


あたしはイルカと付き合うときに一つ心に決めた事がある。
イルカの傍にナルトの居場所を必ず確保すること。

今までは子供は苦手だった。奴らは素直なだけに大人よりも残酷だ。本能で自分の味方になってくれる者、そうでない者を見分け自分の好き嫌いを正直に態度に表す。
愛情を注がれるのも、他人から面倒を見てもらうのも当然。その傲慢な存在は、早くから親を亡くして施設で育ったあたしを思い切り苛付かせる。

あたしは子供と接する機会もほとんど無かったし、極力関わらないようにしていたのだが、ナルトは今までに出会ったどんな子供とも違った。

あたしが初めてナルトに会ったのは、イルカと一楽に行く約束をしていた日だった。
イルカの腰にまとわりつくナルトを見た瞬間、あたしはぶっちゃけ面倒臭いと思った。
きっと人のいいイルカはこの子供と一緒に一楽に行くことを提案するのだろう。
子供同伴なんて勘弁して欲しい。今夜はアスマか、紅か、暇そうな奴と飲みに行くか・・・。
そんなことをぼんやり考えていると、ふとナルトと目が合った。
ナルトはイルカのベストから手を離した。さっきまでの輝くような笑顔は瞬く間に消えていく。
そして意識してか無意識なのか、それでもこの場面ならば無難な元気の良いといえる笑顔を咄嗟に顔に貼り付けてイルカを見上げた。
(この子はあたしに気を使って身を引こうとしている。)
心が伴わない、上辺だけの、胸を突かれるような笑顔だった。
子供のくせに大人のあたしに気を使って我慢するのか。
この短い時間であたしは感じ取った。

この子はあたしに似ている。

この子供は諦めている。期待することを、見返りを求めることを。
日々の生活の中のささやかな楽しみ、人との触れ合いも簡単に手放してしまう。
それは見放されても傷つかないように自分を守る手段。
多分、親はいないのだろう。でも周りに面倒を見てくれる大人は居ないのか?底ぬけに人のいいイルカにまで気を使うなんて・・・。
「ナルト、あたしも混ぜてね。」
考える前に言葉が口からついで出た。
あたしらしくもない。初対面の子供になんでこんなことを言ったのか。
でもあの時、ナルトに『俺、帰る。』なんて絶対言わせたくなかったのだ。
イルカがナルトの事を気に入っているから、あたしもナルトに対して優しく接したのか?
その場限りの優しさなんて余計残酷だって?偽善者だって?そんなの知るか。
あたしは口を開いた瞬間、イルカのことなんてスポーンと頭から抜けていた。
ナルトの笑顔が悲しくて、切なくて、そんな偽モノじゃない本当の笑顔がもう一度見たかった。

あの時、選択を間違えなくて本当に良かった。あたしは今でも時々思い出してはこっそり胸を撫で下ろす。
任務明け、イルカに会うのはもちろんだけど、ナルトに会うのだってあたしはすごく楽しみなのだ。
イルカが忙しいときは二人で会ったりもする。この前はナルトに吐くまで一楽のラーメンを食べさせて、こっ酷くイルカに叱られたけど・・・。
酒飲みで放って置くと酒の肴しか口にしないあたしと、放って置くとラーメンしか食べないナルト。イルカはこんなあたし達に口酸っぱく『野菜を食え!』と連呼する。
イルカから二人そろってお小言を頂戴する度に、あたしとナルトは顔を見合わせてニシシと笑う。
三人で過ごす穏やかで他愛無い時間が、あたしは愛しくて愛しくてどうしようもない。


台所のテーブルの上でナルトは勢い良く巾着袋を逆さまにした。中からは、巻貝、二枚貝、珍しい宝貝もある。大小様々な、色とりどりの貝殻が出てきた。
「俺、はじめて海を見てきたってばよ。」
ナルトは興奮気味に初めて見た海について語る。それにしても貝殻たちは土産物屋で売っていてもおかしくない程に美しい物ばかりだった。
「すごいな、ナルト。これだけ集めるの大変だったろ・・。」
少しイルカの目が潤んでいる。イルカは喜怒哀楽が激しい。任務の合間に自分の事を考えてくれたナルトに感動したのだろう。涙の沸点も物凄く低いのだ。
「ううん。カカシ先生が土遁の術で思いっきり砂浜を掘り返してくれたってばよ。黒土が出てくるまで!カカシ先生も貝殻欲しかったみたいだったってば。」
「・・・・きちんと原状回復してきたんだよな・・・?」
「ん?大体元どおりにしてきたってばよ。」
カカシの奴・・・女だな。
カカシはたまにしょうもない事にチャクラを無駄使いしたりする。
常人に比べれば無尽蔵のチャクラをいいことに、土遁の術をガンガン使って女への土産に好みの貝殻を探したに違いない。
まあ、相変わらず元気そうで何よりだ。
「あ!忘れるところだった!姉ちゃん、手、出して。」
ナルトはいそいそとポーチから小さな手に収まるくらいのもう一つの巾着を取り出す。
首を傾げながら手を突き出していると、ナルトはそっとあたしの掌の上で巾着の口を逆さまにする。中からは向こうが透けて見えるほどに薄く、綺麗なピンク色のサクラ貝が一枚転がり落ちた。
「綺麗・・・。」
少しも縁が欠けることの無い、完全な形をしたサクラ貝。これは探すのに苦労しただろう。
「だろ!俺、姉ちゃんの手の爪みたいだなと思った。」
「っ・・・!」
まずい、鼻の奥が物凄い勢いでツンとする。泣きそうだ。
ふとイルカと目が合うと、イルカは目を細めてうんうんと頷きながらあたしを見ていた。
くっ・・・泣きそうなのがバレた。もういい。思いっきり泣いてやる。
「ナッ・・ナルトッ。ありがっ・・うっ・・く。あたしっ・・あたし、一生大切にする!!」
「ええっ!?姉ちゃん、何でっ。な、泣くなってば・・!」
「あ――・・、うん。人は嬉しくても泣くものなんだ。ナルト。」
「そ、そうなのか?」
あたしも年とったなあ。こんなに涙もろくなっちゃって。イルカの事をとやかく言えないよ。
外では「上忍」の名前が一人歩きしてるけど、ホントのあたしはこんなにみっともなくてかっこ悪い。でも、この二人はどんなあたしでも受け止めてくれる。
二人はあたしが泣ききるまで黙って待っていてくれた。