いと つみぶかし 7
僅かに開けられた寝室の戸の隙間からするりと黒い塊が滑り込んできた。
意識を飛ばして眠り込んでいるイルカをしっかりと胸の中に抱きこんだままカカシは子猫を一瞥する。
カカシの眼光に臆することもなく黒い子猫は果敢にベッドの上によじ登り、イルカの乱れた黒髪に鼻先を近づけてくる。
「お前にはやらないよ」
黒い子猫はちらとカカシを見やり、んなぁと小さく鳴き声を上げた。
琥珀色の瞳を揺らして興味津々の体でネコはカカシを見詰める。
その姿は愛らしくもいかにも儚げで、イルカの病癖から考えると自分とこの子猫では勝負が見えているように思えた。
それでも、傍を離れないともう決めたのだ。
「この人は俺のだから」
この部屋に連れ込まれた時、こんな想いを抱くとは考えもしなかったけれど。
カカシはネコを睨みつつイルカを抱きしめる腕に力をこめる。
「・・・・ネコと、張り合わないで下さい・・・・」
カカシの腕の中でイルカが身動ぎした。
「おはよ、イルカ」
カカシは遠慮も臆面もなくイルカの顔に啄ばむようにキスを繰り返す。
カカシのキスをイルカは神妙な顔で受け止めた。
「ねえ、もう一回俺の事拾ってよ。イルカ」
「何言ってるんですか」
「一度拾ったんなら、最後まで面倒見てよ」
「・・・・・」
イルカは視線を伏せてカカシと目を合わせようとしない。
いつもの笑顔はない。
少し困ったように口を引き結んで、でも、少し頬が上気している。
またはじめて見る、イルカの表情。
カカシの胸にはじわりと嬉しさが込み上げてくる。
「もっと、色んな顔見せて」
イルカの頬を指でたどり、引き結んだ唇を緩めるように何度も指の腹で撫でる。
困ったような眉間の皺はそのままで、ちらりとイルカがカカシを上目遣いに見上げた。
「笑顔だけじゃなく、怒った顔も、泣き顔も、全部見せて」
イルカの瞳にはまだ迷いが見える。迷いと、怖れと。
「俺に甘えたり、我侭言ったりもしてよ。どんなイルカも俺は好き」
イルカの視線の高さまで身体をずり下げるとカカシはくっ付きそうなほど近くまでイルカに顔を寄せた。
「俺は、イルカの助けが欲しいんじゃなくて、イルカ自身が欲しいの。俺が言ってること、わかる?」
イルカを抱きながら、必死にイルカに繰り返し伝えた。
俺を欲しがって。
もし頷いてくれるなら。
「俺の全部、イルカにあげるから」
食い入るようにカカシを見つめていたイルカの目にみるみる涙が盛り上がる。堪らずにきつく目を瞑るとそれからはもう、涙は堰を切ったように溢れ出した。
「・・そんな事、言われた事ない・・・」
しゃくりあげて泣きはじめたイルカをカカシは再び胸の中に抱きしめる。
「はは、こんな事。俺も言うの初めて」
心も、身体も、全てが欲しいなんて思ったのはイルカが初めてで。
そのイルカがやっと、カカシの腕の中に落ちてきてくれた。
カカシの胸に額を擦りつけるようにしてイルカは必死にカカシにしがみ付く。まるで手を離せば消えてしまうと、怖れるかのように。
「傍にいるからね」
安心させるようにカカシは穏やかにイルカの背中を撫でる。
ゆるやかに動くカカシの腕を子猫が前足を片方上げて狙っている。
我ながら余裕がないと思いつつ、小さな身体のライバルを前にカカシの眉はどうしても跳ね上がってしまう。
これはどうしても言っておかなければならない。
カカシは手を緩めてイルカの顎を掴むともう一度カカシの方を向かせる。
「それと、もう人も動物も拾うの禁止」
「・・・はい」
顔はグシャグシャで眉毛は八の字に下がりきっているが、イルカはきゅっと口の端をあげて笑った。
カカシが釣られて笑うと涙で濡れた唇をイルカは押し付けてきた。
カカシは軽く口を開いてイルカを受け入れる。
イルカからカカシを求められて、カカシは蕩けてしまうような恍惚感を覚え、静かに目を閉じた。
(問題は、どうやってイルカの嗅覚を鈍らせるかだよね・・・・)
きっとイルカはこれからも弱った生き物を捨てて置けずに、結局拾ってしまうような気もする。
可愛い恋人の、か弱いものを見つけ出す厄介な勘。アンテナと言うべきか、センサーと言うべきか。
そんな物が麻痺してしまうくらい。
息も詰まるほどに傍にいてやろうとカカシは決心した。