鬼神が存在するとしたら、まさに今目に映るものがそうなのだろう。
月も朧に雲に隠れる闇の中でその存在は漆黒に塗り消される事なく、たなびく銀糸は鈍く光る。
敵をなぎ払う様はまるで舞っているかのようだった。
その美しさは禍禍しいほどで、心は否応なしに侵食されるのだ。
夜陰に紛れて急襲を受けた。
戦線から最も離れていたはずのこの駐屯地に待機していたのは半数が負傷者で、ほとんどが戦力にならない。動ける者は必死に応戦したが無様にも陣地に敵の侵入を許してしまった。
鋭く響く鋼がぶつかりあう音。敵か味方か区別の付かない咆哮。どんどんと濃くなる血臭。
一通り戦闘訓練は受けている。過去の任務で人を殺めたことも・・・。
は天幕の入り口から内部を振り返る。中には里への帰還も叶わずに現地で治療を受けていた重傷者達が横たわっている。
(守りきれなかったら、すみません・・・)
天幕の外に出てから入り口に向かい素早く印をきる。初歩的な結界だが、この闇夜の中であれば充分に敵の目を欺けるはずだ。
せめて、自分のチャクラが尽きるまでは。
駐屯地全体が闇に包まれている。
暗闇の中、天幕を背に目を凝らす。戦闘の気配は徐々にこちらに近づいてくる。
緊張は認めざるをえなく、唇を何度も舌で湿らせながらホルスターのクナイに手を伸ばす。
「動けば、殺す」
突然喉元に突きつけられた金属の冷気には全身を強張らせた。
テントを背に数歩も離れていない。自分の背後に立つ男の気配を微塵も拾う事は出来なかった。
「動かないで」
不意に頬に布が触れる。ピリと皮膚が引き攣れ小さな痛みが走る。
いったい何を?は思考も行動も停止させ息を詰める。
頬をなぞる布がばらばらに動く事でそれが手袋越しの男の指だと知れる。男の指はそのまま上に移動し、こめかみをたどり、額当ての上に乗せられる。キリキリと鉄板を引っかく音がする。木の葉の印が刻まれたそこを男は何度も指でなぞる。
「あ、味方か」
途端に喉もとの刃も、男の手もあっけなくから離れる。
それでもは力を抜く事が出来ず、全身を硬直させたままだ。
「ね、終わらせてくるから。ここ動いちゃ、駄目だよ」
男が言うなりふわりと空気が動いた。
だいぶ夜目に慣れてきたの目に前方に駆けていく人影がうっすらと見えた。月の光も殆ど無いというのにぼんやりと男の輪郭が浮かび上がっている。
軽く助走をつけて男は跳躍すると全く重さを感じさせずに戦闘の渦に飛び込んだ。
まるで男の出現によって、その周囲が照らされたかのようだ。
今置かれている状況がには見て取れた。いつの間にか立っている味方よりも敵の数の方が多くなっている。応援は間に合うだろうか。とにかく自体は最悪だった。
あの男。あれでは、犬死だ。
が思った直後、事態は劇的に一変する。
男が腰を沈め、体全体を捻りながら旋回させた。男めがけて押し寄せた敵の波に次の瞬間不自然な空洞ができる。
スッと雲の切れ間から月光が降り注いだ時、男の手に握られた血塗れの忍刀が光った。敵忍の屍と血溜まりの中に男は立ち上がる。その男の顔は獣の面で覆われていた。
月明かりは一瞬で、再び辺りは闇に包まれる。しばしの静寂。
――――暗部。
火影直属の精鋭部隊。男は暗殺戦術特殊部隊に与する者だった。
闇の中、なぜか淡く光を放つ男をめがけ全面から攻撃が仕掛けられる。男は全ての攻撃を受け流し、返す手で反撃する。その動きは流れるようで淀みは無い。しなやかに手首は翻る。男が敵の身体を一撫ですれば、声を発する間もなくその者は地面に崩れ落ちた。得物は忍刀一つで、易々と血路を切り開く。男が移動するたびに、光源に集まる虫のように敵忍が詰め寄る。男の動く先が戦闘の渦の中心となる。
が男に触れられた頬をそっと撫でると指先が特殊な塗料で淡く光った。
男の不自然に発光する体。あれは自ら囮になっていたのだ。
敵忍の戦力を自分に集中させて、男はたった一人で形勢を覆した。
敵忍は決して弱いわけではない。男が圧倒的に強すぎるのだ。
頼もしいはずの味方を前に、の背中をぞくりと冷気が這い上がってくる。
鬼神が実在するとしたら、まさに今、目に映るものがそうなのだろう。
陣地に取り残された敵忍で生きている者はいなかった。もともと想定されていた戦ではなく、散り散りに逃げていく者に対して追っ手をかける事も無かった。
大小の天幕の中央にかがり火が灯された。取り戻された明かりによって凄惨な現状が浮き彫りになる。今朝は普通に会話をしていた仲間が足元で物言わぬ肉の塊になっていた。前線であれば仕方の無いこと、割り切ろうにもせり上がってくる吐き気には思わず口元を覆った。
「無事だったか」
直属の上司がこちらに近づいてくる。どうやら怪我は無いようだが、医療忍者用の白い支給服は真っ赤に染まっている。
「助かる見込みのある者から治療にあたれ。物資には限りがある。動けるか?」
「大丈夫です」
「よし、かかれ」
とにかく今は自分が成すべき事をしなければ。
は陣地内を駆け回り、負傷者を救出した。今夜の奇襲で戦忍以外にも後方支援にあたる医療忍者までも数を減らされてしまった。今朝までの万全な人員体制で治療にあたれば助けられたであろう命が目の前で失われ逝く様を、はただ見ている事しか出来なかった。
気付けばあたりはうっすらと白みがかり、夜明けを迎えていた。
以外にも体を動かせる者は不眠不休で未だ後処理にあたっている。
夜がすっかり明けてからやっと本隊より応援部隊が到着した。何もかも終わった後で彼らに何の仕事があるというのか。それでも人員が減り心細さを隠せなかった生き残りの忍達は励まされたように活気づいた。
「あー・・この任務の責任者は?」
のんびりと間延びした声だった。
ざわめいていた陣地内は水を打ったようにしんと静まる。
あの男だ。
人垣は自然と左右に分かれる。その間を、獣を模した面をかぶり黒の外套に身を包んだ暗部二人が急ぎもせずゆったりと歩を進める。外套のフードをすっぽりと被っている為、どちらがあの男なのか声を聞かなければ分からない。あの男を示すものは低く響く心地よい声と、微かに光を反射していた珍しい銀髪だけだった。
暗部二人は本隊から派遣された部隊に真っ直ぐに近づいていく。部隊の中の大柄な男が軽く手をあげ、暗部二人と部隊から数人がこの駐屯地の本部が置かれる天幕の中へ消えた。
暗部の姿が消えた瞬間、陣地内にはざわめきが戻った。
「とうとう『かたわ』まで引きずり出されたぜ」
「戦も長引いたからな。まあ、あいつが出てくれば終わり方はどうあれ里に帰れる日は近いんだろうよ」
のすぐ後で忍達が噂をする。
「片端」とは、あの暗部のうちどちらかの事なのだろう。
それにしてもあの二人には身体に障害があるようにも見えなかった。
なぜ「片端」などと呼ぶのか。しかも蔑むように。
「、今のうちに仮眠を取れ」
不意に上司に声をかけられた。
「どうした?引っ掛けたか?」
上司の男はの左頬を親指の腹でごしごしと擦る。下忍時代から目をかけてきたの事が男は可愛い。しばしば見られるこのいかつい男のに対する過保護ぶりは、医療忍者の間では苦笑とともに容認されている。
すっと一筋の細く赤い線がの頬に走っていた。
あの暗部に触られた個所だった。
一人、考えに沈んでいたは自分の父親ほどに歳の離れた上司に訊ねてみた。
「主任、『片端』という暗部をご存知ですか」
目の前の男からは笑みが消えた。
「・・・・・昨夜、この陣地で戦った暗部を見たか」
脳裏には昨夜の人知を超える強さの男が浮かんだ。は軽く顎を引く。
「それが片端だ」
「どこか、身体に障害でも?」
「そうではない。あの男はそのような意味で片端なのではない。あれは戦に使われる唯の道具だ。どのような命令も躊躇わずに遂行する。任務の為であれば同朋であっても眉一つ動かさずに切り捨てる。人としての感情が欠落している。人として不完全なのだ。それで片端と呼ばれている」
上司の話を聞きながらもは府に落ちない。
忍ならある程度の冷徹さは必要だろう。しかし、先程の忍達の口調からはあの男を疎んじる感情が滲み出ていた。何故そこまで厭わしく思うのだろう。
「それでもあの男に私達は救われました」
昨夜はあの男を前に背筋が凍ったというのに、今はあの男を庇うような物言いをしている。
は自分の言葉を不思議に思った。
「お前は、感情を失った人間に会った事があるか」
男は物言いたげにを見つめたが、それ以上語る事もなかった。
人としても忍としても未だ経験が浅いは、男の瞳から汲み取れる物は何も無かった。
「過ぎる興味は身を滅ぼす」
男は使い古された言葉でに警告めいた事を言うと、話を打ち切るかのようにその場を立ち去った。
はしばらくその場所に佇んでいたが、すぐに自分の天幕へ足を向ける。休息を取るのも任務のうちなのだ。
体格の良い男のすぐ後ろに暗部二人が、最後に先頭の男の部下が天幕の入り口をくぐる。
人払いをして三人は小さなテーブルを囲んで腰を降ろした。最後に天幕に入った部下は入り口に膝をつき脇でじっと待機している。
「随分梃子摺っているじゃないか。確か期限は一ヶ月だったはずだが?」
鳥を模した面の暗部が口を開いた。
「返す言葉もねえよ」
本隊から来た大きな図体の髭面の男は腕組のまま憮然とする。
「あんた、そんなに使えない男だったっけ?」
犬を模した面の暗部がさらに追い討ちをかける。
髭面の男はますます苦虫を噛み潰したような顔になる。
「ははっ!冗談はこれ位にして、と」
犬の面の男の笑い声は天幕に空虚に響いた。
「さて、任務遂行状況を着手時から昨日の分まできっちり教えてよ」
軽い口を叩いた次の瞬間、犬の男はがらりと雰囲気を変える。
髭面の男は暗部の態度に戸惑うでもなく、テーブルの上にざっと地図を広げた。
時は二ヶ月ほど前に遡る。
火の国の北方に位置する小国同士の領地を巡っての小競り合いが発端だった。
力の差は歴然で、一方的に領地に攻め込まれ不利に立った国主が火影に泣きつき助けを求めた。それは事態がどうしようもなく悪化した後の事だった。
古い知人でもある依頼主を無下にする事もできず、火影は戦力を送る事を承諾した。
火影も情にほだされて依頼を受けた訳ではない。敵方の戦力を事前に充分把握し、戦況を覆す事が可能な部隊を編成し、更に任務が完了した場合における報酬と任務にかかる費用の収支まで計算された上での了承だった。一つでも不安要素があれば任務を受ける事は無かっただろう。
敵国の戦力は岩隠れの里から雇われた忍と自国の私兵とで構成されていた。一般兵と忍とでは勝負にもならない。
敵の雇われ忍より質も数も上回る忍を戦線に投入し、事後処理も含め一ヶ月で完了する任務のはずだった。
「あんたがぐずぐずしてるから俺まで呼び出されちゃったよ」
犬の男は遠慮が無い。髭面の男はフンと鼻を鳴らしたきり黙っている。
「まあ、大体話はわかった」
鳥の男が口を開く。
「要するに、最初は戦況を覆すほどに有利に立っていたが、ここ数週間は練る策全てが裏目に出る、と。不思議と部隊の弱点ばかりを突かれ、大敗を喫する事も無いが徐々に戦力を削り取られているという事だな」
髭の男は無言で頷く。
「簡単な話だね。裏切り者がいるよねえ?」
鳥の男とは対照的に犬の男の声はどこか拍子が外れている。
「・・・・どういう事だ」
髭面の男の頬がひくりと痙攣した。
「あんた、毎晩野営地は移動させてるんでしょ」
「おう」
「それが昨夜は左翼、右翼、本陣の三部隊が一気に叩かれた。おまけにあんたがきっちり結界を張ってご丁寧に隠してたこの後方の駐屯地までね。はい、コレ決定的でしょ。内通者が居るね」
犬の男が緩慢に手を振り上げ、再び緩慢に手を振り下ろした。
その直後に髭の男の後方で潰れた蛙の声のような断末魔があがる。
さすがの男も顔色を無くし、自分の後方を振り返った。
天幕の入り口付近で自分の片腕として登用していた男がうつ伏せに倒れている。頭部からは黒々とした血が湧き出し土の中に吸い込まれていく。
鳥の男がおもむろに倒れた男に近づき、その体を仰向けにする。しばらく全身を探った後に、今度は口の中を覗く。男の口の中に手を突っ込み奥を探るとカチリと手ごたえがあった。口内から手を抜くと掌には小さなカプセルが握られていた。
「確認しろ」
髭の男は鳥の男から受け取ったカプセルを太い指で器用に割った。中からは小さく折りたたまれた薄い油紙が出てきた。広げると結構な大きさになったが、そこに書き込まれた内容は髭の男を充分に動揺させた。
昨夜の奇襲でどれだけ戦力が削がれたか、三部隊それぞれの幹部の配置状況、戦力の分布、今後の陣地の布陣場所。
今までこの男と各駐屯地を回り事細かに調べ、打ち合わせた内容が既に書き記してあった。
「何てぇこった・・・・」
それ以上は何も言わず、男は黙って自分の髭をさする。
もう一度油紙に目を落とし、髭の男は暗部二人を見据えた。
「いつから気付いてた」
「俺たちは事態の収拾を火影に命じられた。任務遂行を阻害する要因を取り除いていけば遅からずこの事実に行き当たる」
「ま、この一週間くらい様子見てたんだけどね。怪しい奴に目星付けてさ。で、昨夜で結論を出したわけ」
「敵方の間者だったのか」
「う〜ん、情報渡す相手は敵方だったんだけどねぇ・・・」
「この裏切り者の雇い主はお前達の依頼主だ」
鳥の男の言葉に髭の男は絶句した。
「簡単に言えばね、しんどくなった依頼主が自分の戦を放り出したのさ」
木の葉の忍が領地争いに介入し、戦はますます長引く事となった。
有利な形勢が第三者の介入で逆転してしまい、その後敵方も手をこまねいて防戦一方だった訳ではない。自国で雇った忍に相手方のあらゆる情報を探らせた。
例え相手方がこのまま戦に勝ったとしても、他者の介入に頼っての事。
頃合を見計らい敵国は木の葉の依頼主に密使を遣わした。
お前達を守り戦った木の葉の忍が去った後、私兵も持たないお前達が自国をどのように外部から守るのか?莫大な報酬を払い続けて木の葉を雇い続けるのか?長引く戦で荒みきった領地を建て直しながら新たに手に入れた我が国の領地まで統治していけるのか?
その勝利の後、我らをいつまでも抑えられると思うな。
勝利は束の間の夢だと囁く。
『もし、我が国に従属するならば領土もそのままに自治権も認める』
提示された条件に長引く戦に疲弊しきった依頼主の心は甘く侵され、いとも簡単に木の葉を裏切る事となった。
「・・・そんなもん、休戦になったら任務依頼を取り下げりゃあいい話だろうが」
「もともとこの国には報酬なんて払う余裕もなかったんだよ。任務のキャンセル料すらね。従属国になるだけでもそれなりに奉納金がいるし。木の葉が任務続行して負けてくれるのが一番都合いいんだよ」
依頼主は報酬の支払いで背負う負債を回避すべく契約不履行を狙い、裏で手を回し始めた。木の葉の忍が勝利を収めないように。敵国の勝利で戦が終結するように。
この策も「木の葉潰しに協力してやる」という敵国の甘言に乗った物。その甘言の裏には敵国主の身のほども知らぬ野望が見え隠れしている。
木の葉の忍は火の国の戦力の大半を支えている。
辺境の小国が大国「火の国」に噛み付いたのだ。
「それで、今回の任務の成功条件は」
状況は変わった。前面の敵が後方の依頼主と手を組んだ。今後、部隊はどう動けばいいのか。
「火影より新たな命が下った。それを伝える。前方の敵戦力を完膚なきまでに壊滅させる事。その後部隊を撤退させ、一週間以内に里に帰還する事。以上」
「最初と変わりねぇじゃねえか」
「三日で片付けるよ。指示は出すからしっかり仕事してよね」
「けっ、ったりめえだ」
「おい、俺はもう少し情報を集めてくる」
「ん」
言葉少なくやり取りを交わし、鳥の男は天幕の外に出た。
髭の男は入り口に倒れたままの男をじっと見詰める。
「なに?アスマ。落ち込んでんの?」
犬の男は気安く声をかける。
「落ち込むか、馬鹿が。自分に腹が立つだけだ」
「ま、こいつもね、最初はあんたの下で真面目に働いてたみたいだったよ」
犬の男がぽんと軽く小石を蹴ると倒れたままの男に軽くぶつかった。
「カカシ、止めろ」
「アスマはお優しいねぇ。裏切り者にまで」
「もう罰は受けただろうが」
犬の男は興を削がれたように軽く肩を竦めた。
「口の堅い奴に死体の処理を指示してね」
「わかってる」
「今日一日は全員に休息を取らせて、身体が満足に動かない奴は里に帰しちゃって。邪魔だから。こんな怪我人だらけの陣地なんてとっとと切り捨てなよ。次の夜明け前には動くよ」
髭の男の眉間には深い皺が刻まれた。
「必ず三日で終わらせる。夕方にまた来るね」
「・・・カカシよ。この任務でのお前の役割は・・・」
「やだな、殺されたいの?変な興味持たないでよ」
口調は軽いが犬の男は溢れ出す殺気を隠そうともしない。
髭の男は、表情に出さずにそれを耐える。
「あんたも元暗部なら分かるでしょ。まともな忍が太陽の下を真っ直ぐ歩いて行けるように俺らは裏で手を汚すのさ。毎度の事よ?」
髭の男は背中にじっとりと汗をかきながらも云う。
「カカシ、もう充分だろ。お前も足を洗え。ただの上忍に戻れ」
犬の男の空気が和らぐが、それも一瞬。
「・・・俺は、人じゃない。『かたわ』だから」
犬の男は面の中でくつりと笑った。
「化け物は日の光にあたれば溶けて無くなるか、灰になって消えちゃうんだよ。だから、俺の居場所はここでいい」
その後、言葉もなく犬の男はふらりと天幕を出て行った。
「・・・馬鹿が」
髭の男は誰にともなく吐き捨てた。
は天幕の中で身体を横たえたものの、視神経に絶えずピリピリと刺激を受け眠る事が出来ない。それでも横になるだけでもとじっとしていると、そこかしこから微かに負傷者の呻き声がする。
は仮眠を諦め寝床から這い出した。
間に合わせに作られた簡易の天幕に向かい、同僚と交代する。任務が長引き医療物資も底を尽きかけている。里へ依頼した追加物資がそろそろ届くはずだが。
天幕の中に居るのは自力で動く事の出来ない重傷者達ばかりだった。きっと今日の日が落ちる前にこの半数が死ぬ事になる。物資も乏しく、設備も無い。医療忍術を用いれば助かる者もいるが、忍術を施す対象は中隊部隊長以上の者と厳しく制限を受けている。目の前にいる者達は代わりの利く捨て駒なのだ。
何もしてやれない。医療班とは名ばかりで無力だった。
痛みを訴える者には効きもしない鎮痛剤を静脈に打ち込む。強請られもしないのに口に水を含ませてやる。忙しなく動いた所でそれが彼らの救いにつながる事はない。
彼らを救う手段が手の内にあるというのに、規律を守り自分は彼らを見殺しにするのだ。
空しく宙を掴む負傷者の手を咄嗟に取る。華奢な身体は全身包帯で覆われ、かろうじて鼻と口にだけ隙間が開けられている。わずかに動く口元には耳を寄せた。
「・・・かあ・・さん・・」
掠れた声は、声変わりをする前の少年のものだった。
(泣くな!!)
唇を噛み、は握りしめた掌にギリと爪を立てる。やり切れない思いを痛みで紛らわそうとしても足元からズルズルと悲しみの淵に引きずり込まれる。
少年の包帯で覆われた耳に向け囁く。聞こえているかは定かではない。
「もう、怖くないから。安心して・・・眠りなさい」
声の震えを抑えるのに苦労した。
ひゅうひゅうと乱れていた呼吸が徐々に穏やかになっていく。唯一露出している少年の右手をは自分の掌で包み込む。少年の体温は失われつつある。
は小さな声で歌を口にした。祖母から教わった古い歌だ。
現世での罪を拭い去り、神に許しを請い、新たなる身となって来世に進むための歌。
神などいるものか。いったいこの少年にどれほどの罪があるというのだ。
それでも歌はこれしか知らない。
歌の途中で少年の密やかな呼吸は途絶えた。
アスマと別れ本陣に戻ろうと陣地内の木々の間を渡り飛んでいたカカシはふと足を止めた。
簡易に作られた粗末な天幕から風に乗って微かに音が伝わってくる。
きよきちしおにつみはさり いまあらたなるみとぞなる
うしろふりむかずまえにある すくいのみちをすすみいかん
歌だ。チャクラの乱れも伝わってくる。
カカシは戦地でのんびりと歌など歌う者の顔を見てみたくなり、枝の上でしばらく待った。
天幕の出入り口から女が一人出てきた。支給服から戦忍ではなく医療忍者だと分かる。女の足元は覚束ない。
ふと風に乗って鼻腔をくすぐる匂いにカカシは気がついた。カカシは無造作に枝を蹴り、女の前に降り立つ。女は目の前に降り立った自分に見苦しいほどビクついた。
硬直する女に構わずカカシは間合いを詰めると、おもむろに女の肩口に顔を寄せる。
すん、とカカシは鼻を鳴らす。
「ああ、あんた昨夜の」
カカシは女から離れ改めて正面に立ち、その全身をしげしげと眺める。
昨夜うっかり殺しそうになった女だ。明るい日の下で見ると女はすらりとした身体をしており、顔の造作も整っている。明るい栗色の髪と同じ色をした、大きく切れ長の目が印象的だった。任務中の伽役に宛がわれたなら上玉だといえるだろう。
あの時も微かだが消毒液の匂いがした。自分の匂いも消せないとは、医療忍者としてはどうか知らないがたいした忍ではない。
「あんた、戦は何回目?」
「・・・参加は、初めてです」
声は震えていたが、高すぎずしっとりと落ち着いており、いい声だとカカシは思った。
先程の歌声の主だ。
「あんた、さっき何で歌ってたの」
女は初めて顔をあげカカシを見た。
「・・・・よく、わかりません。ただ、怖がる事無く眠ってくれたらと・・・」
「そいつ、死んだの?」
女は甲が白くなるほど手を握りしめ、視線を伏せた。それが答えだった。
戦場で人死にが出るたびに歌を歌っていたら、いったいあと何百回歌わなければならないことか。
感傷に浸っていれば次に死ぬのは自分だ。
「優しいんだねぇ」
皮肉は伝わったらしい。女の頬が瞬時に紅潮する。
何故だろう。良く知りもしない女だが、心がささくれ立ってその言動にいちいち苛つく。
「偽善者」
女の肩がびくりと揺れた。それを見て、少し溜飲が下がった気分になる。
女はそれから俯いたまま口を開こうとしなかった。カカシは女に対し急激に興味を失い、女をその場に残したまま本陣に足を向けた。
馬鹿な女も居るもんだ。カカシは面の中でくもった笑い声を上げた。
だが、ふと思う。
ああ、そうだ。自分は『かたわ』だ。それじゃあ、あの女が正常で自分が狂ってるんだ。
「は!ははっ・・・!」
カカシは発作でも起きたかのように身体を引き攣らせ笑った。
それなら俺は『かたわ』でいい。人じゃなくていい。
戦場でしか存在を認められないのに。存在を求められないのに。
人と成ってしまったら、俺の生きる理由は?
あの女のように己の感情に振り回されるなんてごめんだ。
何も考えずに自由に身体を動かす事が出来る、俺は『かたわ』がいい。
あの女は俺にも弔いの歌を歌うのだろうか―――
(くだらない)
カカシは浮かんだ考えをすぐさま振り払うと、本陣に向けてスピードを上げた。
