ある日の事。
一人上手な九郎が一人黙々とその日の鍛錬をこなして有川家のリビングに戻ってくると、ヒノエと弁慶が何やら熱く討論していた。
「だからさぁ、初々しく恥らうのも最初のうちは可愛いけど。もっとお互いに探究心を持って楽しみたいわけ、俺はね」
「けれど、あまりにも積極的に動かれると僕としては楽しみが半減しますね。動くに動けず羞恥に頬を染めながら相手が身を捩る様も趣があってよいものですよ」
「・・・・相変らずジジ臭いね、あんた」
???
九郎の頭の中で元気よく疑問符が飛び交う。
最初から会話に参加しても最近では九郎よりもはるかに順応性が高い八葉の面々の、こちらの世界の固有名詞が連発する会話に付いていけない九郎である。その会話に途中参加となっては何の話なのかさっぱり分からない。また何か、こちらの世界の不可思議なしきたりや物についてのことなのだろうか。
合いの手も入れられず、相槌も打てない九郎は大人しくソファに座る弁慶の隣に腰掛けた。
「九郎だってマグロなんか嫌だろ」
「・・・・?」
いきなりヒノエに話を振られて九郎は無言で考え込む。
まぐろ。まぐろ。
何処かで聞いた事がある。自分はそれを知っているはずだ。
あ、あれだ。将臣とこの間外で食事をしたときに小皿に握られた米の上に魚が乗ったものが乗せられてぐるぐると目の前を回る忙しない場所に連れて行かれたのだ。
生の魚をあまり食べなれない九郎は玉子ばかりを食べて子供みたいだと将臣に笑われた。
しかも皿があまりに早く回るのでそちらに気を取られて九郎は食事どころではなかった。すいすいと皿を取る将臣がとても頼もしく九郎には見えた。
これを食べてみろ、と将臣に勧められた赤味の魚。あれがマグロだったはずだ。
「俺は、あまり生の魚は得意じゃないんだ」
あの時は山葵が効き過ぎていて味も何も分からなかった。生魚も苦手だが山葵も苦手だ。
将臣には悪いがあの場所にはもう行きたくないなと九郎はぼんやり思った。
ふと気付くと、向かいでヒノエがソファの背もたれに顔を埋めて小刻みに身体を震わせている。弁慶も九郎を見やりつつ笑みを深くしている。いつもの静かな微笑ではなくて、困ったように少し眉尻を下げて。
「あーっはははは!九郎、あんたサイコー!!」
「ヒノエ」
大笑いし始めたヒノエを弁慶が諌める。
「だいたい、こんな話を九郎に振る方が悪いでしょう」
「・・・・・マグロとは何だ?」
どうも自分は間違ったらしい。マグロとは魚ではないのか。
思わず小首を傾げる九郎に弁慶もますます困ったように微笑む。
「まあ、マグロって言ったら魚のマグロだけどさ。今の話はセックスの相手がマグロだと嫌だよなって話」
ヒノエの説明はさっぱり分からない。今度は逆方向に九郎は小首を傾げた。それを見た弁慶がとうとう助け舟を出す。
「平たく言えば、契る相手が全く動いてくれずに受け身でいる事をこちらではマグロというのですよ」
ガン!と、九郎は後頭部を殴られたような衝撃を受けた。
「あ、ほら。あんな感じ。上手く例えたもんだよな」
ヒノエに促されて九郎はてれびという四角い箱を見やる。そのはこの表面には大きな魚を二人掛かりで巨大な包丁を使い捌いている様が映っている。
「マグロの解体の見世物だぜ。まな板に乗ってピクリとも動かないだろ。閨の中であんなに非協力的だと俺は萎えるな」
九郎の目には相手に身を任せきりでデーンとまな板の上に寝転がるマグロが焼きついた。
ざっと九郎の全身の血の気が引く。
「マ、マグロだと相手は嫌がるものなのだろうか・・・・・」
「九郎?」
弁慶が俯く九郎の顔を覗き込むと九郎の澄んだ薄茶色の双眸からは今にも涙が零れ落ちそうに盛り上がっている。
「う」
とうとう、パタパタと九郎の膝の上に雫が落ち始めた。
「・・・ヒノエ・・・・・」
九郎の肩を抱きながら弁慶が地の底を這うような低い声を出す。ヒノエは機敏に立ち上がると「俺用事があるから」と弾丸のようにリビングを飛び出していった。
「いつもながら逃げ足は素晴らしいですね」
逃げ出すヒノエの背中から弁慶が腕の中の九郎に視線を戻すと、膝の上でぎゅうと拳を握り締め、目を瞑って眉根を寄せて。この世の終わりだとでもいうように悲壮感を漂わせて九郎はしくしくと泣いていた。
九郎がこうなった時の扱いは弁慶は慣れたものだ。
「何か、心配事でもあるのですか?」
真横から九郎を抱きしめて、まるで睦言を吐くかのように弁慶は甘く九郎の耳元に囁いた。
「お、俺はっ・・・。俺は、マグロだから。きっと将臣も嫌がっているんだっ・・・・」
うっく、うっくと。しゃくりあげながら切々と九郎は訴える。
「いつも、閨では俺ばっかりが訳が分からなくなって、将臣に何もしてやれなくてっ・・・・」
えぐ、と九郎は嗚咽を漏らす。弁慶は舌打ちしそうになるのを寸での所で堪えた。
長年真綿で包むように、九郎を大切に大切に可愛がってきたというのにぽっと出の将臣に掻っ攫われてしまったのだ。弁慶にあるまじき失態だった。初心で天然で純真で、自分好みに育て上げた九郎をやっと我が物にしようと思った矢先の出来事。
誰も足を踏み入れた事の無い新雪のごとき九郎を、いまや将臣が閨では前後不覚になるほどに翻弄しているのかと思えば腸も煮え繰り返るというものだが、弁慶は見事にいつもと同じ微笑を顔に浮かべている。
(まあ、付け入る隙はいくらでもありますからね)
このように。
「九郎、泣かないで。将臣に嫌われるかと思うと怖くて仕方がなくなってしまったのですね」
九郎の顔を覗き込みながら弁慶は親指の腹で優しく涙を拭ってやる。
「九郎、それなら練習をすればいいんです。鍛錬と一緒ですよ」
「・・・・鍛錬?」
修行好きの九郎の心を鷲掴む言葉を弁慶は良く知っている。案の定、九郎は鍛錬と言う言葉に食いついてきた。
「僕でよかったら鍛錬に付き合いますよ。一緒に頑張りましょう」
「・・・・よろしく頼む」
生真面目にペコリと、九郎は泣き腫らした顔で弁慶に頭を下げた。鍛錬の内容がどういうものかは多分全く分かってはいないだろう。
ヒノエを追い出した今、弁慶を邪魔するものはいない。
穏やかな微笑を顔にそつなく張り付かせたまま、弁慶は自室に九郎を迎え入れたのだった。







最近には珍しく寒さも緩み麗らかな昼下がり。
出かけるのには最適であろう快晴の日に弁慶と九郎は一室に閉じこもっている。
自分のベッドに九郎を腰掛けさせて、弁慶も九郎の隣にさり気なく腰を降ろした。
「要は自分がされて気持ちがいいコトを相手にもしてあげればいいんですよ」
「そ、そうか」
心持ち顔を赤らめつつも九郎は真剣な面持ちで頷く。
「こればっかりは口伝えではピンとこないでしょうし。身体で覚えていってくださいね」
「べ、弁慶・・・・」
ぐうと肩を押されて九郎はベッドの上に仰向けになってしまった。その上に弁慶が覆い被さり九郎を見下ろす。
「鍛錬ですよ。何処が気持ちが良いのか、僕に教えてくださいね」
言いながらも弁慶が九郎の耳朶を軽く食む。服越しに密着した九郎の身体がブルリと震えた。
「弁慶、待っ・・・」
九郎の言葉を奪うようにして弁慶が九郎の唇を塞ぐ。
「ん!んぅ・・」
逃げる九郎の舌を絡めとって自分の口内に引き込むように強めに弁慶が吸う。口蓋を舌先でくすぐってやれば突っ張るようにして弁慶の胸を抑えていた九郎の腕から力が抜けた。
九郎の瞳はとろりと蕩けるように潤み、口付けただけで全身の力がクタリと抜けてしまったようだ。
「そう、僕に任せてくださいね・・・・」
スラリとした九郎の首筋に吸い付きながら弁慶はセーターの裾をたくし上げる。しっとりとした肌を上に辿ればやがてまだ柔らかい胸の飾りに指先が触れた。
「あっ・・・・」
指の腹を擦り合わせるようにして刺激してやれば、九郎の胸の突起はすぐさま素直に反応を返して固く尖る。
「九郎、気持ちがいいですか?」
「ん、ッ・・・」
ひくひくと胸を波打たせながら九郎は与えられる快楽を堪えるように下唇を噛み締めた。
「それから、君の気持ちいいところはここ・・・・」
弁慶が九郎のジーンズのファスナーに手をかけた瞬間、部屋のドアが二度ノックされた。
「弁慶、九郎が来てないか?」
大きくは無いが良く通る声で将臣が声をかける。ドアは閉められたままだ。
九郎は大きく目を見開き身体を硬くした。
「・・・・さすがに鼻が利く」
普段よりも1オクターブ低い声で弁慶が呟いたが九郎はそれには全く気付かずにパニックに陥っていた。
どうしようどうしよう、と。脳内では九郎は右往左往しているのだが身体は指の先すら動かせない。
フリーズした九郎を安心させるように弁慶はニッコリと微笑んで見せる。
「鍛錬はまた今度にしましょう。このことは二人の秘密ですよ?」
何をしていたのか将臣にだけは知られる訳にはいかない。マグロを克服する為に弁慶と鍛錬に励んでいたなどと。
コクコクと頷きつつ、あわあわと九郎は乱れた服を調える。
「続きは今度。また付き合ってあげますからね」
「す、すまない弁慶。俺は、いつもお前に迷惑をかけてばかりで」
「いいんですよ。僕は君の力になれるのなら・・・」
コンコンと、弁慶の言葉を遮るようにまたドアはノックされる。
「弁慶、開けるぜ?」
ガチャリと将臣が部屋のドアを開けると弁慶と九郎が仲良くベッドに腰掛けていた。
弁慶はいつも通りの微笑を浮かべ、将臣はそれをうけて口元だけで笑ってみせる。だが将臣の目は少しも笑ってはいない。
九郎だけが二人の様子に気付く事なく将臣に気取られないようにと俯きガチガチに身を固まらせていた。
「邪魔したか?」
「そ!!そんなことはないっ!!」
「ええ。ただ世間話をしていただけですから」
「世間話、ねえ・・・・」
涼しい顔をしている弁慶と、だらだらと冷や汗を流しつづける九郎を将臣は交互に眺める。
「九郎、ちょっといいか?」
「も、もちろんだ将臣!ただ世間話をしていただけだっ」
勢いよく立ち上げる九郎の腕を取り、将臣は手前に引き寄せる。
「俺の部屋、いってろ」
「・・・わかった・・・・」
胸に抱きこまれるようにして将臣に囁かれ、九郎の頬から耳にかけて赤く染まる。
「九郎」
柔らかく弁慶に声をかけられてビクンと大きく九郎の身体が揺れる。
「続きはまた今度」
「あ、ああ」
弁慶に返事をするとギクシャクと手足を動かし九郎は弁慶の部屋を後にした。
残された二人は静かに対峙する。
「世間話ならリビングでしろよ」
「ふふ、随分と余裕が無いですねえ」
九郎が居なくなった今、将臣の前で弁慶は黒い笑みを全開にしている。
「別に僕が何処で世間話をしようと君には関係ないでしょう?」
「関係あるかどうかは、世間話の相手によるけどな」
バチバチと両者の間には青い火花が散る。
「邪魔したな」
「いいえ、とんでもない。また遊びにいらしてください」
傍から見ればひどく友好的なやり取りだが空気はビリビリと張り詰めている。
「九郎を待たせてる。じゃあな」
弁慶は完璧なアルカイックスマイルのままで、将臣の背に向けて今度は誰に憚ることなく盛大に舌打ちした。
今回は仕方が無い、引き下がるとして。
「この続きは近いうちにすることとしましょう」
ふふふ、と弁慶は黒い密やかな笑い声を漏らした。









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