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この世には不思議な事などなにもないのだよ
「そう、不思議な事なんかないんだから。だからこれは何か、訳があるはずなんだから、絶対に」
祖父の口癖を幾度も頭の中で繰り返し、答える相手もいないのに声にまで出してしまうのはの不安の裏返しだ。
昼間だというのにうっそうと茂る木々の葉は光をほとんど遮断してしまい、薄暗い森の中をは闇雲に歩き回っている。
非常事態だった。
右手に握りしめていた携帯は圏外になっている。手持ちのバックは何処かにいってしまったらしい。
何故か旅館のカウンターでもらったミルク味の飴玉三つを左手に握りしめていたことに、自分に向けてまたため息を零す。今この時、飴玉が一体なんの役に立つのか。せめて財布でも持っていたらよかったのに。
しかしそこでは、考えを改める。しかも悪い方行に。
ずっとこの森を抜けられなかったらどうしよう。
今回の旅行に一緒に来た友人は学校の都合で今朝一足先に東京へ戻ってしまった。
ぶらりと一人気ままに古都、京都を散策しても今夜の便で東京へ戻る予定だったのだ。
つまり現時点での行方が知れなくなった事に気付いている人間は居ない。
「き、貴重な食料だわ」
財布を持っていた所ですぐ近くにコンビニなどありそうにもない。
だいたい、それほど町に程近ければ苦労はないのだ。
は飴玉三つをしっかりと胸の前で握りしめる。
そうするとが直視しないようにしていた現実が目に飛び込んできた。の両腕は真っ白な振袖に包まれている。
下は真っ赤な袴を履いており、さらに上半身は振袖の上に純白の薄羽織をきっちり着こんでいる。
まるで巫女さんコスプレのような装いになっている。もちろんこんなけったいな格好では京都へ旅行に来た覚えは無い。
「誘拐されたのかしら。いつの間にか薬を盛られて、拉致されて・・」
そしてご丁寧に洋服から着物に着替えさせられた後、誘拐犯の心変わりから森の奥深くに放置されたのだというのか。
あり得ない。そんな手間をかけてを何処とも知れない森に放置して一体何の得になる。
受け入れ難い現実に頭が逃避しようとしているが、どう考えても説明がつかない。
ついさっきまでは下鴨神社の参道を観光がてらのんびりと散策していたのだ。
ふいと道端に目が止まると単純な好奇心からは整備された参道をそれて、人の足で踏み固められた細く木々の間へと伸びる小道をぶらぶらと歩いていった。観光客用に整備された道ではなく、昔からこの土地に住む人々が日々の暮らしの中で何度も行き来した、そんな趣のある獣道ともいえなくない小道をは黙々と歩く。
ほんの数分歩いただけで観光客が賑やかに行き来する参道から随分離れてしまった。ほどなくは小道の行き止まりに辿り着いた。
そこにはの腰ほどの高さのまるで今見てきた神社のお社のミニチュアのような物が唐突に鎮座していた。
細部まで良く出来ているが異様に古い。観光客用に作られたにしては華やかさもない。
本来の白木の色はとっくに失われて、風雨に長い間晒されて全体的にその社は黒ずんでいる。
でも先程見た楼門のような鮮やかな朱塗りの物よりも、この社の方がは好感が持てた。
は固く閉じられた観音開きの格子戸を腰をかがめて覗き込んでみた。生い茂る木が邪魔をして光が弱かったがその社の奥の壁には赤い塗料でなにやら図形が描かれている。祖父が管理している小さな社でこの図形を見た事があった。
「五芒星だ」
がポツリと呟くと同時に記憶が途切れた。
目を覚ますとは今の状況に陥っていた。
タダでさえ着慣れぬ着物が動きを制限するというのに、無駄に長い振袖が一歩足を踏み出すごとに枝やら茂みやらに引っ掛かる。
「ああ、もう!」
その度には苛立たしげに左右に袖を振るう。履物だけがが履き慣れているローヒールのパンプスだったのは幸いだった。この際着物にパンプスというコーディネートには目を瞑るしかない。
靴底で足場を確認しつつは慎重に歩を進める。
とにかく、車道なり山道へ出て誰かに助けを求めなくては。
が苦労しながらも少しずつ山を降りているとガチャガチャという金属の擦れる音がこちらに近付いてきた。
こんな山中で金属が擦れる音が聞こえるという事は人がいるに違いない。押し寄せる安堵がの警戒心を奪い取ってしまった。
はまず先に音源の正体を確かめるべきだったのだ。
「すみません」
が藪を掻き分け声をかける。しかし声を放った瞬間には固まった。
人影は三人。
何故か時代劇で見かけるような甲冑、鎧をきっちり着込み、兜もしっかり被っている。その内二人には折れた矢が数本突き刺さっている。
こんな山中で何かの撮影だろうか。
は何とか自分の常識と現在の状況の折り合いをつけようとする。
しかしその三人が振り返った瞬間、の頭は真っ白になった。
三人の兜の中には肉も皮も全くない、所謂、骸骨が納まっていたのだ。
骸骨の落ち武者。その表現がピッタリだ。
鎧のそこかしこには矢が突き刺さり、刀傷がある。これほどに鎧にダメージがあってはそれに包まれた生身の身体は無事ではないだろう。
多分、生きてなどいられない。
「痛・・・っ!!」
の右腕が瞬時に熱を持つ。
見ると純白の振袖が切り裂かれ、うっすらと血が滲んでいる。
自失しかかるの目の前で更に鎧武者は緩慢に刀を振り上げる。
この認めがたい現状は、現実だ。
「・・・っ、嫌だ!!」
恐怖に突き動かされるままに、は転がるようにして走り出した。
鎧武者達もガチャガチャと耳障りな音をさせながらを追いかけ始める。
は足りなくなる酸素に喘ぎながら力を振り絞って道なき道を走った。
こんな所で訳も分からずに殺されるなんて絶対に嫌だ。
薄羽織が刀の切っ先で徐々に切り裂かれていく。は懸命に走るがどうしても武者達を引き離す事が出来ない。
「あっ!」
羽織を再び剣先で引っ張られはバランスを崩して転倒した。
ガチャガチャと鎧武者達がいっせいに詰め寄ってくる。両膝を強く地面に打ち、は痛みのあまりすぐに立ち上がる事が出来ない。
生まれてから二十年しか経っていない。世の中にはもっと楽しい事がある筈なのに。
こんな事ならお昼は奮発して京懐石にしておけば良かった。
東京にいる両親に親不孝をする事を心の中では謝る。
「・・・・っ!!」
頭部を庇い、は身体を縮こまらせた。
の背後でガチャガチャと音高く甲冑が鳴る。武者の無気味な唸り声も聞こえる。
しかし、どうした事かの身体の上に武者の刀が振り下ろされることはなかった。未だ鎧が擦れる音は聞こえている。だがそれもいつのまにやら止んだ。
「・・・・な、に、どうして?」
は恐る恐る上体を起こし背後を振り返る。
そこには無残に両手足を関節部でバラバラにされた武者の姿があった。まるで人形が解体されたように手足、胴体、首のパーツが小山となって積み重なっている。
は鎧武者以外の存在を認めて息を飲んだ。
鎧武者の首を何かが咥えたまま、じっとを見据えている。
前足を揃えて座るとそれはの腰に至るほどの大きさがある。
それは、純白の、大きな。
「わあ・・・・大きな・・・猫」
猫な訳は無い。虎にしては小さいが。毛皮は何の模様もなく無地。得体の知れない大きな、野生の獣だ。
これ以上命の危険に晒されるなんてもうごめんだ。
「・・・・にゃあ」
の願いが通じたのか、獣はその大きな体躯に不似合いな猫としか思えない可愛らしい声で鳴いた。
これは猫だ。猫以外にあり得ない。は必死になって自分に言い聞かせた。
獣は落武者の首を無造作に放り投げると、腰を抜かしたままのの傍までのしのしと近付いてきて大きな頭をの胸に擦り付けるようにする。
は好意を示してくる獣に硬直状態だったが、獣は力を加減しながらもぐいぐいとに身体を押し付けてくる。どうやらに敵意はないらしい。
の目の前で落武者だった残骸は砂が崩れるようにして消えてなくなった。
「・・助けてくれて、ありがと・・・」
甘えるように身体を擦り付ける獣の耳をは恐る恐る掻いてやる。
気持ち良さそうに獣は淡い水色の瞳を細めて喉を鳴らした。
とりあえず、当面の危機は回避できたなのだった。
雪のように白いからユキ。
は安直に獣に名前を付けた。
ユキは出会ったばかりのに不思議なほどに懐き、ピッタリと寄り添い離れようとしない。
ユキに導かれるようにしては適当な洞穴を見つけると、その日の夜は柔らかい苔の上で休む事にした。夜の冷気に身体を震わすの前でユキは身体を差し出すようにして寝そべる。ユキの柔らかく暖かい腹の上に頭を乗せると途端に抗いがたい睡魔が襲ってきた。
それからは夢も見ずには深い眠りについた。
ビロードのように滑らかなユキの毛皮にまだ眠気に捕らわれながら頬をすり寄せていると、の手の甲に突然ヒヤリとしたものが触れた。
「・・ん、なに」
その不快さには無意識に手を払う。しかしその濡れた感触はまたヒヤリとの手の甲を覆う。
突然触れた冷気にはまどろみながらも顔を顰める。
『・・・歓喜に昂ぶりを押さえきれぬのは分かるが、主は未だお休みであるゆえ。そうはしゃぐな』
『申し訳ありませぬ。しかし、なんという清らかさ愛らしさ。いや眼福、眼福・・・』
ぼそぼそと話し声がする。
「・・・ん・・?」
うっすらと目を開けると、腹部をに貸したまま身体を横たえたユキが首だけ起こしてをひたと見つめている。ユキは機嫌よさそうにぐるぐると喉を鳴らした。
そして手の甲に感じる違和感。
の左手の上には体長30センチほどのヤモリがペタリと張り付いていた。
「・・・っいやーーー!!!!」
はヤモリを振り落とそうと必死に手を振るが、そうするとヤモリはますますしっかりとの手に張り付く。
のパニック振りに驚いたようにユキも腰を上げたが、的が武者よりも小さく勝手が違うのかどうすることも出来ない。困ったようにユキは騒ぐの周りをぐるぐる回るばかりだった。
その時、洞穴に反響するの悲鳴の間を縫って男の声が聞こえた。
「ご苦労。戻れ」
その声と同時にの手の甲のぬめる感触も掻き消える。
息を整えようと必死に肩を上下しているに誰かが近付いてくる。洞穴から差し込む逆光で相手の顔が見えない。
落武者とヤモリの次は一体なんなのか。
思わず後ずさり、はユキの首に両腕を回すが、ユキは攻撃姿勢を見せる事なく落ち着いた様子で近付いてくる相手を見つめている。
「えーと・・・。君は此処で何を?」
は相手から逆に問われた。
歯切れがよく軽い、相手の砕けた口調にの緊張が少しだけ緩む。
「俺の式神がやけに騒ぐから何かあるかとこの辺まで足を伸ばしてみたんだけど。君は・・誰なんだい?」
「あ・・・中禅寺です」
「あ、俺は梶原景時。よろしくね」
ユキの首にしがみ付いたままでは器用に会釈した。生真面目に名乗るに男も名を名乗る。
「しっかし、驚いたなー」
景時と名乗った男の目線はを通り越してにしがみつかれて大人しくしているユキに向けられているようだ。そのユキは平然として景時の視線を受け止めている。
はで景時の色鮮やかな髪の色に目が釘付けになっている。こんな目にまぶしい不自然な青緑、絶対染めたに違いない。よりも年上に見えるが一体どんな仕事をしているのか。なんだか派手な男だった。
だが、は半日ぶりに普通に日本語が通じる人間に出会い安堵のため息を零した。此処は現代で、間違いなく日本だ。
「で、君はこんな所で一体何を?」
「あの・・・私もどうして此処にいるのかわからなくて、とても困っています。私を近くの街まで連れて行ってもらえませんか」
ふむ、と。顎を何度か形の良い指で擦った後、の願いを景時は快く承諾する。
「いいよ。なんだったら俺の家に来る?聞きたいこともあるし、その怪我、手当てしないと」
景時はの血が滲んで乾いた腕の傷をちょいと指差す。
「これは・・・もう大丈夫です」
腕の切り傷はほんのかすり傷だが、この傷を見ると昨夜の鎧武者を思い出す。
は思い出した事を振り払うように頭を振った。
「不思議な事なんて、何もないんだから」
これまでの不可思議な出来事はもう考えないようにする。
「え、なに?」
「いいえ」
は勢い良く立ち上がった。こうして二人、洞穴の中で座り込んでいても状況は変わらない。
「よろしくお願いします」
はペコリと景時に頭を下げる。
「はいはい、任せといて〜」
景時は軽く手を振りながら洞穴の出口に向かって歩き始めた。
とりあえず山を降りれば携帯も繋がるようになるだろう。現金が無いのだから警察に連絡をして。
ああ、きっと家族は物凄く心配しているだろうし、明日提出のレポートの期限を教授に頼んで伸ばしてもらわないと。
家に帰ってからの事をあれこれ考える内にの心は段々と軽くなっていった。
傍らにそっと寄り添い歩くユキをは見下ろす。
ユキは、動物園に保護してもらったらよいだろうか。きっと珍しい種類の動物だと思う。
さすがにこの大きさではの自宅で飼うことは難しい。
の考えを知ってか知らずかユキがの太腿の辺りに頭を擦りつけてくる。
ごめんね、と心の中で謝りながらはユキの鼻頭を指先で掻いてやる。
しかし街中に足を踏み入れた後、羽のように軽くなったの心は地の底に突き落とされた。
なに、これ・・・。
まるでドラマのセットのようにしか思えなかった。
道行く人々は皆一様に着物だ。洋服を着ている者など何処にもいない。建物は全て平屋の木造。平屋というよりも粗末な掘っ立て小屋といった表現が的確だ。だが、それがどうやら民家らしいのだ。ビルなどない。電信柱もない。
自動車も、自転車すら。
きっと、大昔の日本はこんな感じだったのではないか。
の体温が一気に下がる。
隣で景時が町並みを案内してくれているようだが血の気が引いたは景時の言葉を聞き取る余裕などない。止まらずに足を動かす事で精一杯だ。
「ちゃん、どうかした?」
俯いたまま無言になってしまったの不自然さに景時も気付いたのか、足を止めてを見やった。
「ここ、何処・・・」
声の震えを抑えることが出来ない。
「ここはもう京だよ。そろそろ市中に入るから俺の家ももうすぐ・・・」
「東京には、どうやって帰ればいいの・・」
「とうきょう?」
例えば。
ここが電気もガスも通っていない山奥だったとしても、日本人なら首都東京がわからないという事など無いだろう。
けれども、まだ望みも捨てきれない。
は震える手で袖に入れていた携帯を取り出してみた。
だが、携帯は予想通り圏外だった。
「あれー、ちゃん。面白い物持ってるんだねえ」
景時が物珍しそうにの携帯の画面を覗き込む。
「・・・携帯が、わからないの・・・・?」
の中の張りつめていた糸がプツリと切れた。
「・・帰りたい・・・。帰りたい!!」
「ちょっ・・、ちゃんっ?!」
差し伸べられた景時の手をは乱暴に払う。
ボロボロと涙が溢れて止まらない。
この世界がの常識から外れているのではなく、がこの世界では異端なのだ。
ここはが知っている日本では無い。どこか遠い所に来てしまった。
「・・・っ、帰りたいっ・・・」
嗚咽を漏らしながらはその場にへたり込む。ユキが心配したように無き濡れたの頬に何度も鼻頭を押し当ててきた。
人前でこれほどに手放しで泣いたのは子供の頃以来だ。
は昨夜から抱えつづけた恐怖や不安を吐き尽くすように声を上げて泣いた。
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