(困った・・・・)
景時は困り果てていた。
こういう時、男は全く役に立たない。
「兄上、やっと眠ったわよ」
ひょこりと、朔がを通した部屋から顔を覗かせた。
「そっか・・・」
「可哀相に。泣き疲れたのね」
呆けたように部屋の前に座り込んでいた景時はのろのろと腰を浮かす。
「全く兄上は!あんなに可愛らしい女の子を泣かせて!」
「ええっ・・。う、うーん。やっぱり、俺が悪かったのかな・・・・」
九つも年下の妹から責め立てられて景時は恵まれた体躯を縮こまらせた。
「一体何があったの?だいたいどちらの娘さんなの?」
それは景時にだって分からない。
景時は溜め息と共にそっと懐から小さな塊を取り出す。薄桃色の光沢をもった小さな道具。
の持ち物だ。
「あら、綺麗ね。それは何?」
朔が不思議そうに景時の手元を覗き込む。
この道具はその辺にありふれた物とは言えない。少なくとも景時は生まれて初めて見る。朔も同じだ。
この道具の正体を景時が知らない事には酷く傷ついたようだった。



突然に泣き出したに景時はすっかり動転した。
泣き崩れるの肩を抱いて良いものかどうか、景時の手は一瞬宙を彷徨う。だが、まるでこの世の悲しみを一身に背負ったように打ち震えるを見てその躊躇いは瞬く間に霧散した。
ちゃん」
景時は両腕を回しを抱きしめた。
は寄る辺無い子供のように泣きじゃくりながら必死に景時にしがみ付いてきた。
肩が、細い。
思った以上にの身体は華奢で、消えてなくなりそうな程に儚い。知らずに景時の腕に力が篭る。
「・・・大丈夫、大丈夫だから」
何の根拠も無い言葉でも言わずには居られない。
少しでもの悲しみを払い、安心させてやりたかった。
の痛ましい嗚咽が少しずつおさまり、小さくしゃくりあげるだけになった頃。景時はを自分の首にしがみ付かせたままゆっくりと抱き上げた。
ぴたりとに寄り添っていた白い獣を景時は見下ろす。
「お前、ついて来るか」
獣は景時の言葉を肯定するようにゆっくりと腰をあげた。
「なら、その目立つ姿はどうにかならないか。もう少し、身体を小さくするとか」
市中から少し離れたこの里でも珍しい大きな体躯の獣は人目を引いた。
に離れずに付き従っていたものは、驚くほどにしっかりと実体を現しているが霊獣だ。
しかもかなり位が高い。
本来の姿を隠し、力を抑えているが、それでも霊獣から溢れる神気に景時の使役する式神達はざわざわと落ち着かない。
霊獣は景時を小馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らすと姿を変える事なくスタスタと景時の前を歩き出した。
溜め息一つ零すと景時は霊獣の後に続く。

誇り高く、人に傅く事を良しとしない霊獣を自然に傍らに置いている
「普通の女の子にしか、見えないのに・・・」
奇異の目に晒されながらも景時は自分の屋敷へと向かった。




持ち上げ、ひっくり返し、眺めてみてもその道具が何なのか二人にはさっぱり分からない。
「ヒノエなら知っているかも」
「ああ、あたらし物好きだから」
小さな桃色の道具を朔と二人で覗き込んでいると庭先が騒がしくなった。
「うわあ!綺麗!」
興奮した様子の望美の声が聞こえる。
確か、庭にはあの霊獣がいるはずだが。
景時が駆けつけると庭木の下で寝そべりながら憮然として目が据わった霊獣と、それに怯む事なく霊獣に手を伸ばそうとする望美と、その望美を止めようとしている譲がいた。
「すごい!景時さん、この子どうしたんですか?」
「あー・・・」
霊獣をこの子呼ばわりする望美を前に景時は額を押さえる。譲はともかく神子である望美も目の前の霊獣をただの獣だと思っているらしい。
とうとう不機嫌そうに霊獣は鼻頭に皺を寄せ始めた。捲れあがった口元からチラリと鋭い牙が覗く。
明らかにの前と望美の前では霊獣の態度は違う。
「あの、望美ちゃん。あんまり刺激しないで。そいつは気難しいんだよ」
「ほら、先輩!噛まれたらどうするんですか」
景時と譲に諭されて望美は素直に身を引いた。
「ごめんなさい。あの子、嫌がってました?」
嫌がるどころか、もう少しで霊獣の怒りが暴発しそうなほどだったのだが。
「あの、うん。あんまり人に慣れてないから近付かないでね」
「わかりました」
景時の言葉に元来素直な神子はコクリと頷く。
頷くと同時にまた、あ!と望美は大きな声を上げた。
「携帯!どうして?!」
望美は景時の手の中にあるの持ち物を指差した。
景時は目を瞠る。
けいたいがわからないのか、そうは言っていなかったか。
譲も驚いた様子で景時の傍に駆け寄ってきた。
「先輩の携帯ですか?」
「ううん」
望美は首を振る。
「俺のでもないし、まさか兄貴の物でもないだろうし。だいたい、未だにバッテリーが切れていないなんて、俺達の物の訳がない・・・」
「これは・・・君達の世界の物なのかい?」
「そうですけど・・・。景時さんは、これを一体何処で?」
そうだったのか、と景時の胸の中に落ち着く物があった。
「君達に会って欲しい人がいるんだ」
煩わしさから解放された霊獣は再び悠然と身体を横たえると三人の様子を静かに眺めていた。




は長い睫に縁取られた瞼を固く閉じ眠っている。
頬の色は出会ったときよりも更に赤味が薄れ、青みがかった月のように白い。
すっきりと造作が整ったの顔には生身の人間というよりも人形めいた美しさがあり景時は思わず息を飲んだ。
「綺麗な人・・・。この人が携帯の持ち主ですか?」
望美は無邪気な好奇心に突き動かされるままにじっとの顔を覗き込んでいる。
「うん、そう」
の傍らにはずっと朔が付いていた。の寝具を囲むようにして景時と望美、譲も腰を降ろす。
「帰りたいって。とうきょうに帰りたいって、言ってたよ」
「東京?!」
譲が驚き声を上げる。
「鎌倉じゃなくて、東京ですか?この女性は東京からこちらの世界に来たということですか?」
「いや、それは分からないけれど・・・」
「それは、呼んだものに直接聞けばいい」
部屋の戸口には今帰ったばかりなのか白龍と、少し後方に下がり敦盛が顔を覗かせていた。
「あ、白龍、敦盛さん。おかえりなさい」
「ただいま、神子」
応える白龍には何故かいつもたたえている笑みが無い。白龍の隣で敦盛も僅かに顔を強張らせている。
皆の注目が白龍に集まる。
「白龍、どういうこと?」
「神子、皆も。ついてきて欲しい」
白龍は踵を返し渡殿から直接地面に降り立つと、揺ぎ無い足取りで庭園の奥に向かう。
目指す先は多分、いや明らかに霊獣だ。
「朔はここに残ってくれ」
朔を残し、景時以下居合わせた八葉達も望美と共に白龍の後に続く。
「敦盛さん、大丈夫ですか」
望美の声に景時が振り返れば、敦盛の顔色は真っ青になっている。
「すまない・・・。少し、この気は清浄すぎて私には辛い」
「確かに、何だか空気が変ですね。なんだろう」
霊獣を前に何も気付かない様子だった望美も今の刺すように流れてくる神気は感じ取ったらしい。
「行ってみればわかるよ」
いまや荒れ狂う神気を前に景時も敦盛ほどではないが息苦しさを感じる。
先ほどまで快晴だった天候がみるみると崩れだし、太陽は厚い雲の中に顔を隠す。
八葉と望美が中庭に辿り着くと白龍は神が強風に嬲られるに任せてあの白い霊獣と対峙していた。
「お前を探していたよ、白虎」
いきなり核心を突いた白龍に一同は驚きを隠せない。
(白虎か・・・・!)
十二天将において南西を司る式神。
白虎は中でも特に凶意が強い凶つ神と言われる。
その凶神は数多の神を統べる己よりも上位の龍神を前に敵意を剥き出しにしていた。
「白虎。どうか私たちに力を貸して欲しい。この世界で何が起こっているのか、お前なら感じているだろう」

『ことわる』

白虎の思念だろうか、白龍の願いをにべもなく拒絶する声が一同の頭の中に響いた。
『龍脈の歪みを自力で正す事も出来ずに何が龍神か。我はお前を認めぬ。我はお前を決して赦さぬ・・・』
「・・・白虎、お願いだ」
『この世がどうなろうと知った事か。お前の頼みなど聞かぬ』
「ちょっと!白龍に酷い事言わないで!!それに白龍があなたに何をしたって言うのよ!!」
荒ぶる式神に噛みつく神子を守るように譲と景時が更に前へ出た。
しかし白虎は望美には目もくれずにひたすら白龍に鋭い眼差しを向けている。
「この世の穢れを祓い龍脈を正すにはもっと力が必要だ。どうか、白虎・・・」
『龍神よ・・・。何故お前はいまだこの世に在る。それほどにこの世を慈しむならばその身を投げ出し歪みを正せばよかろう。お前の力が至らぬばかりに我が主は・・・!』
唐突に白虎は言葉を切った。
『・・・目覚められたか』
白虎は一同の上を軽々と跳躍しその後ろの池をも飛び越すと、その勢いのまま庭に面した格子戸を突き破り屋敷内に飛び込んだ。
「待て!」
「景時、心配はいらない。白虎は朔にもあの人にも害を成したりしない」
後を追おうとする景時を白龍が制する。
「白龍・・・。白虎の言うことは要領を得ない。知っている事を教えてくれないか」
「私に分かるのは、あの人が式神の依巫になっている事と、あの人をこちらに呼んだのは私ではないという事だけだよ」
「依巫、だって・・・?」

突然に景時の頭上に日の光が降り注ぐ。
その場に残された一同が空を見上げると厚い雨雲は跡形もなく消え失せ、何事もなかったように抜けるような晴天が広がっていた。