母からも父からも二度とそれをやってはいけないと、あの頃は小さなが堪えきれずぽろぽろと涙を零すほどに毎日きつく言い聞かされていた。
『人前でそんな事をしては絶対にいけない。のお友達になってくれる子は居なくなってしまうよ。みんなと同じに、普通にしていなさい』
そう言われると怖くて悲しくて、は大粒の涙を零しながら必死に両親の前で頷いた。
けれども、祖父だけはの両親とは違う事を言った。
『僕はね、それもの個性の一つだと思うのだけどね』
『こせい?』
両親の言う普通が良く分からずに子供達の中でいつも萎縮していたは上手く周りに馴染めず、よく祖父の書斎に逃げ込んだ。入り組んだ迷路のようになっている本の壁で出来た通路を抜けると、更に積み上げられた本にほぼ埋もれるようにして文机に向かっている祖父には飛びつく。
常にきちりとした和装で身なりを整え気難しい顔をしている祖父は人によってはとっつき難い印象を与えていたようだが、その外見に反してを邪険にする事は決してなかった。
よく来たねと、笑いもせずに言うと祖父はいつも膝の上にを抱き上げてくれた。
『そう、個性。世の人間が全て画一的になってしまったら揉め事も起こらないだろうがぞっとしないね。何よりつまらない。は自分には実にユニークで魅力的な特徴があると胸を張っていればいいんだよ。はその名の通りにこの世を、命を寿ぎ愛し愛される力のある、光に満ち溢れた素晴らしい人間だということさ。なのに全く我が娘ながら、君の母親はつまらない事を言うものだね』
祖父はじっと自分を見つめるに対して器用に片眉だけを上げてみせる。
『・・・簡単に言えば。僕は何があっても君の味方だということさ。僕が君を嫌いになる事など天地がひっくり返っても決して無い』
祖父に頭を撫でられるとの心は途端に嬉しさで一杯になる。
『この世には不思議な事など何もないのだけれど、君に関してだけは僕の興味は未だ尽きないね。さあ、今日も自由に遊びなさい』
この世において絶対の味方である祖父の膝の上では言い様のない安堵に包まれた。
書斎の開け放たれた小窓に向かっては小さな手を精一杯伸ばす。

『おいで!』





今ならも両親の言葉は自分を心配してくれてのものだと分かる。
けれども子供の頃は自分を否定されたようで悲しくて仕方がなかった。そして自分のありのままを受け入れてくれる祖父はの大きな救いだった。
切ない痛みと、祖父の暖かな手を思い出しながら戯れには雀に向かって手を伸ばした。
「おいで・・・」
雀がピイと声高く鳴いた。
ほんの戯れだったのだ。子供の頃を思い出して、それでもまさかと思いながらは雀に手を伸ばした。
だからその雀二匹ともがを目指して真っ直ぐに飛んできたときには驚いて素早く手を引いた。
雀達は迷うようにの頭のすぐ上で左右に飛び回ると隣で腹ばいになったままのユキの額の上に2羽仲良く落ち着いた。ユキは嫌がるでもなく、追い払うでもなく、自分の額の上でさえずる雀を好きにさせている。
そしてさえずる雀の声はその2羽だけの物というには大きすぎるほどに膨れ上がっていた。
「うそ・・・・!」
隣で寝こけている景時を思い出しては慌てて口元を押さえる。だがの声よりも明らかに小鳥達のさえずりと羽音のほうが何倍も大きくなっている。少し離れた栗の木には雀やら四十雀やらがあっという間に鈴生りにとまった。
小鳥達の中でも大胆なものはの傍に寝そべるユキの身体の上にも次々と舞い降りる。達の周りに大小様々な野鳥が集まってくる。
草叢の上にひょこひょこと耳が見え隠れするのは野兎だろうか。気付かぬ内に栗鼠がユキの組まれた前足の中に二匹ほど納まっている。
一体今まで何処に隠れていたというのか、様々な種類の動物達が続々と集まってくるのだ。
いくらなんでもこの騒ぎは尋常では無い。
子供の頃はやけに小動物に懐かれる、程度だった。
手を伸ばして声をかければ雀などの野鳥が二、三匹飛んで来て肩やら頭やらにとまる。ニコリと微笑みかければ犬やら猫やらが寄ってくる。水槽の近くに立てば何故か魚達がを中心に放射状に水槽の硝子に貼り付く。
魚や鳥は珍しかったかもしれないが、犬猫に懐かれるなんてさほど珍しくもない。
動物を呼ぶなときつく言い聞かせていた両親の心配は今となっては過ぎるものだったのではないか、とまでは思っていたのだ。
声も無く、成す術も無く、は自分を取り巻く小動物たちを眺めていた。
「・・・一体、何事だい?」
ビクリとの身体が揺れる。
今だって100羽は悠に越える小鳥達が口々にさえずっているのだ。普通の人間ならこれで起きないわけがない。
片肘をつき、半身を半ば起こしながら景時も一変した風景に圧倒された様子で自分の周りを見回している。一通り首をめぐらして景時はを見た。
の心臓が跳ねる。
何も知らない振りを。何故こんな事が起きたのか、訳がわからない振りをしないと。

普通にしていないと、嫌われてしまうよ。

両親から言われた言葉が頭の中でガンガンと響く。
「・・・ひょっとして、ちゃん・・・?」
意を決して口を開こうとしたはその開いた口から動揺も露わに鋭く息を吸い込んでしまった。小さくの喉が鳴る。
景時はの心を読もうとするかのようにじっとの顔を覗き込んでくる。
の動悸が激しくなり、浅い呼吸にの肩は押さえようとしても忙しなく上下する。
「本当に?すごいな、君には驚かされてばかりだ」
「・・・え・・」
この現実とは言い難い不可思議な状況を景時は凄いの一言で片付けてしまった。
「こんなに近くで雀を見たのなんて初めてだよ。思ったより可愛いものなんだねえ」
景時は自分の立てた膝の上にとまる雀をみて屈託無く笑った。
身を強張らせて固く握っていたこぶしを解き、が両手を自分の膝の上に乗せる。途端に小鳥達が我先にとの腕や手の甲に群がった。
「やっぱりちゃんの人気には敵わないね。でも君の近くにいるから俺にもこうして挨拶してくれるんだろうね」
景時の反応にこそは驚かされた。
「・・・気味悪く、ないんですか・・・?こんなこと、普通ならありえないでしょう?」
「う〜ん、現にこうしてあるんだから、不思議だけどこういう事もあるんじゃない?」
景時は自分の長い指にとまらせた小鳥が指から指へと軽快に飛び移るのを楽しげに眺めている。
「気味悪いなんて思わないよ。ちゃんはまるで、そうだね・・・、この世の生きもの全てから大切にされているみたいだ。お互いに慈しみ合っているって表現がぴったりかな・・・」
の頭の中でこだまする両親の声が瞬く間に消えてなくなった。
「なーんて。知った風な事言ったりしてね」
「・・・景時さん。私のおじいちゃんみたい・・・」
それまで笑っていた景時が何とも複雑そうな顔をしたので、は自分の失言に気がついた。
「あ、あの!見た目がって訳じゃなくて!中身が!・・って!あ・・・中身が老けているって訳でもなくて!」
「・・老けてる・・・」
「あのっ・・」
フォローすればするほど墓穴を掘りそうで、は困り果て両頬を手で押さえた。その拍子に小鳥達が数羽、一斉に空に飛び立つ。
景時は取り乱すを見てゆるりと再び笑顔になった。
「あはは、冗談だよ。別に気にはしないから。君のお祖父さんなら立派な方なんだろうね」
景時から出された助け舟には肩の力を抜く。
「はい・・・。自慢の祖父なんです。いくつになってもかっこ良くて、常に自信に満ちていて。私、祖父が大好きなんです」
両親すら認めてくれなかったの不思議な力を、祖父以外に認めてくれた人間が現れての感情は昂ぶり思わず目頭が熱くなった。
自分は今、とても嬉しいのだと思う。
目立たないように、周りと同じように。両親の望むままに過ごしてきた。そのが押さえ込んで隠してきた秘密に対して嫌悪を抱かず、景時はありのままの自分を受け入れてくれた。
は感謝の念を抱きながら景時と向き合う。
景時はここで初めて、心底驚いたように軽く目を瞠った。
「それは・・、物凄く光栄だよ」
景時はいつもの気さくな笑みを消して、真剣な光を目に湛えを見つめている。
急に口数が少なくなった景時をは不思議に思う。
そして、自分が言った言葉の意味に唐突に思い当たった。
「そ、そろそろ帰りましょうか・・・!」
顔が火照って仕方がない。日の光は夕暮れの赤を帯び始めていて、の頬に差す赤が景時に見られないのは幸いだった。
これではまるで遠回しに告白したみたいじゃないか。
栗拾いの事などすっかり忘れては勢いよく立ち上がる。
景時とユキもを挟んでゆっくりと立ち上がった。
「そうだね。あんまり遅くなると朔が煩さいからね〜」
その時には景時にもいつもの調子が戻っていては少しほっとする。
の勢いに残りの小鳥達のほとんどが一斉に空に飛び立ち、各々の住処へと帰っていった。