の部屋の襖は開け放たれていて少し肌寒いほどの秋風が室内の几帳の帷子を揺らしていた。
ちゃん、ちょっといいかい?」
戸口に立ち几帳の向こうに景時は声をかけた。
「はい」
ひょこりと帷子の向こうからが顔を出す。そのの後ろから威嚇でもするようにのそりと白虎も体を現した。
軽く肩を竦めつつ、が勧めてくれた円座に景時は腰を降ろす。
の部屋を訪ねたものの、何からどこまで話したものか。
らしくもなく景時が言葉を捜して黙り込んでいると、伏せられた目線の先にそっとの小さな白い手が差し出された。
その手の上には色紙に包まれた小さな丸いものが乗っている。
「どうぞ。美味しいですよ」
景時の手に一つ、水色の色紙に包まれたものを乗せるとはもう一つの色紙を景時の前で剥いてみせる。
「私が持ってきた飴です。疲れている時は甘い物できっと元気が出るから」
にこりと、は微笑みながら景時にも色紙を剥くように促す。
に習って景時も色紙の中の白くて丸い玉を口に含んだ。
それは、物凄く甘かった。
あまりにも甘すぎて顎の付け根がギリギリと痛む。
何とも答え様もなくて景時がを見ると、で目をきつく瞑ったままぎゅうと顎の付け根を両手で押さえていた。
「あ・・甘い!何でこんなに味が濃いの?!」
顎の付け根を両手でグリグリと揉みながらはこの強い甘味を堪えるように身動ぎしている。そうした所で甘さが和らぐ事は無いのだがそうしたくなる気持ちも良く分かる。景時は笑ってしまった。
「ごめんなさい!景時さん、早く出して、出しちゃってください。ああ・・!朔にもこの飴一つあげたのに、大丈夫だったかな」
「あはは、俺は大丈夫だよ。それにほら、この味も段々慣れてくるよ。美味しいね」
強烈な甘味だったが案外早くに舌が慣れた。
「あっ、本当・・・」
落ち着きを取り戻してはきちんと円座の上に座りなおす。このやり取りで景時の気分も幾分か和らいだ物になった。
「俺、そんなに疲れてるように見えた?」
「あの・・・はい。ちょっと、いつもより元気が無いかな、って・・・」
は気遣わしげに景時を見つめている。
どうしてこうも、は人の心の動きに敏感なのだろう。その敏さに景時は胸が痛む。
誰にでも屈託無く接しているように見えるが、常には相手の気持ちを量り気を張っている。
常に相手が喜ぶ事を言おうと、気を配るのではなく悲壮なまでに気を使っているのだ。
相手が欠片も不快な思いをしないようにと自分の感情など二の次で相手を立て、優先させようとする。
けれども朔には多少なりとも気を許しているようだった。
裏山で過ごしたあの日、自分にも少しだけ心を開いてくれたように感じたが。
「これは、ちゃんの大事な物だったんでしょ?」
景時は菓子の包み紙を目の前に掲げて見せる。
がもと居た世界から持って来た数少ない物の一つなのだろう。
あの薄桃色の小さな道具と珍しい形をした履物を、は無くしてはいけないとすぐに行李の中にしまいこんでしまったらしい。
着ていた物は袖が派手に切り裂かれていたから、は着物等一式を朔の物を借りて身に纏っている。
こざっぱりとした質素すぎる小袖の上にふわりと山吹色の袿を羽織っている姿を見ると、この京に以前から暮らしている普通の娘なのだと錯覚しそうになる。
「いいんですよ。向こうでは珍しいものでも何でもないし」
は事も無げに言う。
ざわりと、景時の心が風に吹かれたように波立った。
は帰るのだ。
この戦が終われば望美達と共に。
自分の持ち物に執着しないのはもと居た場所に帰れる事を疑わないからなのだろう。
その事に思い至り、景時は重い鉛を飲み込んだような心持ちがした。
「だけどすっかりこちらの世界に慣れちゃったみたいです。ここの食べ物はみんな薄くて優しい味がするから、向こうに戻ったら大変そうです」
そう言いながらも、は少し寂しげな顔をする。
二月ほども一緒に暮らせば多少の情も湧くだろう。自分達と離れて寂しい想いは当然する筈だ。
けれどもここで過ごした時間よりも遥かに長い年月を、は元の世界に戻り生きていくのだ。
いつかはこの京で過ごした時間も忘れる。
「大丈夫、ちゃんならすぐにもとの生活にも慣れるよ。必ず、帰してあげるから」
「そう・・ですね」
殊更明るい声で景時は言った。それに対しては寂しげな色を濃くして笑う。
そう言えばが悲しむと分かっていたが、言わずには居られなかった。
必ず帰すという言霊が景時の口からたった今生まれた。
景時はそれを必ず守らねばならない。
景時は自ら自分に枷を嵌めた。
気持ちを切り替え、景時はに話し出す。
ちゃん。俺達はもうすぐ京を離れるんだけど、その時はちゃんにも一緒に来て欲しいんだ」
「はい」
何の目的で、何処に行くのかとも問う事は無い。
は不思議と明るくなった表情で同行を快諾した。
「京にいる間も、京を離れてからも、俺が必ず君を守るから」
「・・・はい」
の笑みが深くなる。
今自分に向けられているこの笑顔は、他の者に向けられる一歩引いた笑顔とは違う物のように景時には感じられた。
それが嬉しくもあり、同じ程の強さで胸を締め付けられる。

には何も言わない。
何も知らせず、気付かせずに守りきり、必ず無事にもといた場所に帰す。
心が優しすぎるは自分が京を賑わす怪異の原因で中心であるのだと知れば深く嘆き悲しむだろう。
自身が災いをもたらしていると自分を責めるだろう。
怨霊達の動きはが京へやってきてから目に見えて活発になっているのは確かだ。
だがこの世に呼び寄せられたのも、不安定な力を秘めた式神を身の内に置いているのものせいではない。
それでもは自分を責めるだろう。
そう長くもない限られた時間をが安らかに過ごせるように、景時はあらゆる物からを守ると心に決めた。








『人間ごときが主の力を自由にできると思うな』
自室に戻り欄干にもたれてぼんやりと外を見ていた景時の頭の中に声が響く。
庭の景色をぼんやりと眺めながら景時はそのままの姿勢でいる。
「お前の主をどうこうしようなどと思ってはいないさ。もちろんちゃんの事も」
景時は式神とは別のものだと白虎に暗に示す。
しかしそれには白虎は沈黙で答えた。
白虎は近くにはいるのだろうが景時の前に姿を現さなかった。
『・・・龍神が不甲斐ないばかりに世の理が崩れようとした。どれほど前のことかは最早思い出せぬ。慈悲深い我が主はその尊い身を投げ出した。主はこの世の大気となり、大地となり、水となり、草木となり、生けるもの全てと交わり我の前から姿を消してしまった。今の今まで何もせずにいた龍神が己の身の消滅に怯えてようやく動き出したようだが、なすべき時になすべき事をしなかった龍神を我は許さぬ。龍神が我らの上に立つ神などと絶対に認めぬ。この世がどうなろうとも知らぬ!龍神など、どこぞで勝手に滅ぶがいい!』
凶つ神の呪詛は景時の心と身体に重圧をかけた。張りつめる周囲の気に息が詰まり、全身に汗が滲む。
しかし景時はそれに屈しない。
「お前の主はどうかは知らないが、ちゃんはこの世を、この世の命を愛している。この世が滅べば彼女が悲しむ」
『黙れ!』
白虎の一喝に大気が振動した。
『我は永い時を一人で彷徨った。だがやっと主を見つけ出したのだ。我は主と共にいく』
「彼女は人間だ」
『主は主だ』
「お前は何故獣の姿を取り続けている?姿を偽り、何も言わずに彼女を連れて行くつもりなのか」
頑なだった白虎の気が僅かに緩んだ。
『主は・・、出会った時に我の姿を恐れた。我に獣でいる事を望んだ・・・。主は何故我を思い出してくださらぬのか・・・。思い出してくださりさえすれば、我は今すぐ主を御連れして・・・』
白虎の語尾は夕闇の中に溶けて消えていった。それと同時に白虎の神気も景時の周囲から消え失せた。
どうして景時のもとに白虎はやってきたのか。
自身と同じく報われない想いを抱く景時に白虎は知らずに引き寄せられたのだろうか。



の中にいる貴人の神格は完全に失われている。
白虎が主と慕う中神が白虎を思い出す事は未来永劫無いのだと、景時は言えなかった。