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『ね、俺が傍にいる時は守ってあげる。危ない目に遭ったら俺の事を呼ぶんだよ?』
あの時、真剣な表情はほんの一瞬で消えたじゃないか。
信じたりして、馬鹿みたいだ・・・。馬鹿みたいだっ!
やっぱりカカシは嘘吐きで、変態のホモ野郎だっ!!!
午後六時から始まった大広間での夕食会(という名の宴会)はのっけから最高潮の盛り上がりを見せていた。
というのも生徒も教師もぐでぐでに出来上がっており、しらふの者など数えるのに片手で足りるという状況だったからだ。実質夕食会は飲み会の二次会、三次会といった様相を呈していた。
阿鼻叫喚の会場内でイルカは口数も少なく一人黙々と目の前の膳を箸で突付き回していた。それが段々とまるで親の仇でもあるかのように激しく箸の先で料理を連打するようになる。
「イルカ」
傷だらけのソーセージのような太い指がその見掛けに似合わずにフワリと、柔らかな羽根のようにイルカの腕に乗せられる。
粒状にまで砕かれた里芋を前にイルカはハッと我に返った。
「イビキ先生・・・・」
左隣に座るイビキが心配そうにイルカを見下ろしていた。
イビキの顔を見るとイルカはしゅんと項垂れる。イビキには本当に迷惑をかけてしまった。
媚薬を盛られて前後不覚に陥った所を部屋まで運び込んでくれて、イルカが大立ち回りを演じてめちゃくちゃにした部屋の件では宿側に謝罪までしてくれ、その上空いている別の部屋を確保してくれた。
「大丈夫か?食欲は無いだろうが少しでも腹に入れておいた方が良い」
「すいません、俺・・・・・」
イビキはその後も変わらずイルカの体調を気遣う。イルカが大暴れした事も体調悪化の一環だと思っている。
イビキは本当に、底抜けに人が良く、温厚で、優しかった。それなのに今だって端の席に座るイビキのまるで防波堤のようにイルカの席がセッティングされている。イビキが下戸でこういった宴会の席で一滴も酒に付き合わないことも周囲がイビキを敬遠する一因だろう。
「もし辛いようなら、部屋で休んでいてもいいぞ」
「いえ、大丈夫です」
二人が座る場所は周りの喧騒からはすっかり遮断されており、しばらくは静かにイルカもイビキも箸を動かしつづけた。
「イビキ先生飲んでますかー」
周囲から敬遠されているとはいえイルカの他にもイビキを怖れる事なく接してくる人間はいる。
イビキとイルカの真正面にゲンマとハヤテがビール瓶片手にやってきた。ちなみに忍は下戸よりはザルが良いに決まっている(イビキは例外)という信念のもと忍術学園は生徒の飲酒も認めているのだった。
「いや、俺はこれだ」
イビキはウーロン茶のグラスを掲げてにやりとゲンマに笑みを浮かべる。
とりあえず、と湯治部の顧問と部長、副部長、書記はそれぞれの杯をカチンと合わせた。
「今年で俺も引退です。イビキ先生、お世話になりました」
「そうか、不知火ももう引退か」
感慨深げにイビキはウーロン茶を口に含む。
「ええ、でもイルカが後を継いでくれるし俺は安心です」
「っ・・・!ゲンマ先輩・・・・!!」
継ぐも何も、今年の湯治部の運営も実質イルカがしていたのだがゲンマの掌で良いように転がされていたイルカはそれに最後まで全く気付く事はなかった。その上ゲンマの科白に感激し目頭が熱くなってしまっている。
ここ数ヶ月、騙されまくり、罠にはまりまくり、多少は他人を疑う事を覚えたイルカだったが、体育会系の感動屋という本質は少しも変っていない。
「今夜は飲みましょう!!ゲンマ先輩っ!!!」
「よーし、そうこなくちゃな」
ゲンマはすかさずイルカのグラスになみなみとビールを注ぐ。
「お、おい。イルカには余り無理をさせるな」
イルカに気を取られていたイビキのウーロン茶のグラスにすかさずハヤテが日本酒を混ぜる。
「イビキ先生。今夜くらいは固い事は言わずに」
ニッコリとハヤテが微笑んだ。
数分後。
「わははははははははは!!!!!」
大広間の上座のステージでイビキが人が変わったように高笑いをしている。
「いやああ〜!イビキ先生ったらあ〜〜!」
「解いてください!解いてください!イビキ先生っっ!!!!」
荒縄を握りしめるイビキの足元には亀甲縛りを施され嬉しそうに悶絶する大蛇丸と、逆海老固めに全身を緊縛され本気泣きをしている鬼鮫が転がされている。
「わーははははははははははっ!!!!」
イビキの高笑いは止まらない。温泉旅行中、イビキが最高に活き活きとしている瞬間は間違いなく今だった。
「ふふふ。イビキ先生の酔っ払った姿が見られて満足です」
ハヤテが赤い唇を吊り上げて笑った。
ただの酔っ払いとして済ますにはどうかと思うほどイビキの人格は豹変している。
「今年は・・・・」
「SMショーだったな」
イルカとゲンマも遠く離れたステージの上で心の底から楽しそうに破顔するイビキにしばらく釘付けになっていた。
温泉旅行の宴会の最大の目玉はイビキに飲酒させる事。裏で代々伝わる湯治部の伝統なのだった。
昨年のイビキは二階の窓から湯治部の生徒全員を道連れに露天風呂にダイブした。その時はイビキ以外全員が身体を痛め、そのまま温泉で傷が癒えるまで養生することになった。一昨年のイビキは旅館の受付のまん前で雄々しい褌姿で木の葉音頭をフルコーラス踊りきったらしい(ゲンマ談)。陽気に盆踊りを踊るイビキを取り押さえようとする旅館の従業員たちはとてもイビキの膂力に敵わず、イビキが陽気に右手を振り上げれば数人右方向に放り投げられ、陽気に左手を振り上げれば数人左方向に千切って投げられるといった凄惨な状況だったらしい。もちろんそれ以来、その旅館には忍術学園湯治部は立ち入りを禁止されるようになった。
そして、どれだけ騒ぎが大きくなろうともイビキは次の日には自分の酔っ払っていた事など綺麗さっぱり忘れている。
「これでやっと俺の役目も終わったぜ」
現湯治部部長は美味そうにビールを飲み干し、カーッと唸った。
「今年は・・・学園関係者以外に迷惑がかから無くて、良かったですね・・・・」
次期湯治部部長は漢で懐の広い普段のしらふのイビキを尊敬している為に心中は複雑だ。
「この伝統は大切に守っていきましょう」
消極的な次期部長とは反対に次期副部長はこの状況を思い切り楽しんでおり笑みが絶えない。
「湯治部以外にもイビキ先生のフレンドリー(?)さを理解してもらう良い機会ですよ」
「そ、そうか・・・?」
ハヤテの言葉にイルカが大広間を見回すとイビキを敬遠していた教職員たちはこぞってステージの周りに集まりイビキに声援を送っている。宴会会場は何とも言えない一体感、そして熱気に包まれていた。
どのような形であれイルカが尊敬するイビキが皆に好かれるのは嬉しい事だった。
「そうだよな。良かっ・・た」
イルカがぐるりともう一度大広間を見回すと、この熱気に感化されていない一角があった。
忍術学園の教師の中で紅一点の夕日紅。
抜群のスタイルに美貌を持ち合わせた紅はステージの喧騒を離れて満面の笑みで酒を飲み続けている。すらりと伸びた形の良い腕が隣の人物の腕に絡みついている。
カカシは紅がしなだれかかってくるのを支えながら、紅と親密な様子で会話を続けていた。
性格に一難も二難もあるが、カカシだって物凄く顔立ちだけは整っている。
非の打ち所のない似合いの二人だった。
イルカは手の中のビールのグラスを一気に空けた。
「おーー!!イルカ!!いい飲みっぷりだな!!!」
「これからの湯治部のために乾杯しましょう」
飲ませ上手なハヤテがすかさずグラスになみなみと日本酒を注ぐ。
一杯のビールを飲み干した時点で身体がふわふわとした浮遊感を覚えだしたイルカは、日本酒をさくさくと飲み干していった。
今日は日本酒が何やら水のように感じられた。
「おい、人に注ぐからにはまず手前も飲め」
ぐにゃりと歪み始めたイルカの視界に黒い大きな影が被さる。
「ア、スマ、せんせい」
「よお。出来上がってんな」
イビキのSMショーが未だ盛り上がりを見せている中、イルカとゲンマ、ハヤテはガンガンと日本酒の銚子を空にしていた。
イルカは文節の区切りもおかしく、呂律もまわらなくなっている。
くわえ煙草のままニヤリと口角を上げるとアスマはどっかりとイルカのまん前に腰を下ろした。
「お前ら、イルカに注ぐばっかりでさっきから飲んでねえだろ」
ぐいと銚子の口を向けると案外素直にハヤテとゲンマはアスマの勺を受けた。
「よく見てんすね、アスマせんせー」
「うふふ。イルカ先輩が酔っ払うとどうなるのかな、と思って」
「どうにもならねえよ。潰れるだけだろ」
話題の中心になっているイルカは、既に話を追えないほどにぐでぐでになっていて、ゆらゆらと身体を揺らしながらグラスの日本酒を舐めている。
「潰れるなら潰れるで、楽しめるんですけどね」
「・・・・和姦以外は認めねえぞ。飲め!」
「なら、仕方ないっスねー」
不敵な笑みを浮かべたままゲンマはアスマが注ぐ酒を飲み干した。
「ゲンマ。程々にしてくださいね。後で勃たないとか、言わないでくださいね・・・」
「お、おう・・・・」
嫣然と微笑みながら凄んで見せるハヤテを前にゲンマは僅かに視線をそらす。
「おら、イルカ。お前はそろそろこっちだ」
アスマに日本酒のグラスを取り上げられウーロン茶のグラスを持たされるもイルカは気付く事なく今度はちびちびとウーロン茶を舐め始めた。
「で、その後どうだ。カカシとは上手くいってんのか」
アスマがそう話し掛けると、イルカの開いていた眉間が徐々に寄せられ皺を作っていく。
「カカ、シィー?カカシ、なんか。もう、知らない、です。うく」
横隔膜が痙攣し始めたのか、イルカはひくひくとしゃくりあげ始める。
「なんだぁ?喧嘩でもしたか」
アスマはイルカを眺めながらさも楽しそうに杯を傾けた。
ゲンマとハヤテもイルカがカカシと同居しているのは知っている。ハヤテに至っては颯爽と寮までイルカを救出にきたカカシの姿を目撃しているのだ。二人の事は気にならない訳ではなく、興味津々でイルカとアスマの会話に耳を傾けている。
「あんな。嘘吐きの、変態、ほも、野郎は。知らな、いっ」
ひく、とイルカはしゃっくりを交えながらアスマに答える。やっぱりカカシと何かあったのかイルカの目は不機嫌そうに据わっている。
まあ、酔いのせいもあったのだが。
イルカは勢い良くウーロン茶のグラスを空ける。
「おー。いい飲みっぷりだな。もっと飲め」
アスマはもう一杯ウーロン茶のグラスを用意する。
今夜はとことん飲みましょうねえ、とイルカはアスマに二ヘラと笑って見せた。自分ががぶ飲みしているのがウーロン茶だと分かっていない。
「ところでなあ、イルカ。あいつは変態ホモ野郎だが、嘘はつかねぇぜ?」
緩んだ笑みを浮かべていたイルカの顔が途端に不機嫌そうになる。とにかくカカシの話題を振られるとイルカは面白くないらしい。
「カカシはどんな嘘ついたんだよ」
「どんな、うそ・・・・」
むうと眉間に皺を寄せるイルカを、アスマ、ゲンマ、ハヤテはすっかり酒の肴にしていた。ウンウンと頷きながら三人はイルカの言葉を待つ。
「自分で、言ったのに。守るって。でも、イビキ先生、と居ろって」
「「「ほお〜」」」
「俺を、イビキ先生に、押し付けて。紅先生と、ひっ付いて、いちゃいちゃ、し、やがって!」
「「「ほおお〜」」」
三人はイルカを前に笑いが止まらない。これほどに面白い肴はそうそう無いだろう。
そういえばイルカを怒らせたとカカシはブツクサ言っていた。
何のことは無い。カカシにほったらかしにされそうになり、イルカは怒ったのだ。構って欲しいとだだを捏ねている上に、紅に酒の肴にされて閉口しているカカシを見て見当違いな焼餅まで焼きまくっている。
カカシもイルカも本当にガキだな、と紫煙を燻らせながら興奮がどんどん高まっていくイルカをアスマは眺める。
ここまで心を乱されておいて、どうしてその感情の正体に気付かないのか。
「守るなんて、めんど臭く、なったんだ!!カカシのっ・・・!!」
感情が一気に昂ぶりイルカの声も高くなる。
「カカシの馬鹿野郎ッッ!!!!」
イルカの咆哮はSMショーの歓声にかき消されはしていたが、三人は思わず後方の離れた位置で紅にとっ掴まっているカカシを振り返り見た。アスマの肩越しにイルカの目にもカカシの姿が映る。
カカシはイルカが叫んだ途端、イルカを、こちらを振り返った。
一瞬カカシとイルカの視線が絡む。
しかし、カカシはすぐに首をめぐらせイルカに背を向けた。
先に視線を外したのは、カカシの方だった。
「おっ?!!おいっ!!!」
イルカがアスマがロックで飲んでいた泡盛のグラスを奪い取り、一気に飲み干す。
アスマが止める間もなかった。
アルコール度数40度の液体は瞬時にイルカの頭の天辺から足の爪先まで桃色に染めた。
「・・・・もう、寝ます」
上下に飛び跳ね飛び降りしていたイルカの声の抑揚が何故かいつも通りに戻っていた。横隔膜の痙攣も治まったらしい。
一気にテンションが降下したイルカは何やら妙な凄みがあった。
「そ、そうか」
アスマもなんと言ってやればいいのか分からない。カカシの玉ナシやろーと心内で苦々しく悪態を吐くだけだ。ゲンマとハヤテも無言のままだ。
イルカの口調はしっかりしていても顔は赤らみ、目は相変らずあやしく据わっている。
すっくとイルカは自力で立ち上がった。
すたすたとしっかりとした足取りでイルカは大広間の出口に向かう。
そして、襖に手をかけておいて、イルカは思い切り襖の隣の壁に激突した。
ガアン!!と、イルカの石頭により結構いい音がSMショーの歓声に負けないくらいに大広間に響く。
大広間が水を打ったようにシンと静まりかえった。
当のイルカはずりずりと身体を壁伝いにスライドさせるとよろりと大広間を出ていく。
しばらく大広間は静寂に包まれていた。
だが、そう時を置かずして二つの声音が会場の静けさを打ち破った。
「うじうじしてんじゃないわよ!!」
「うじうじしてんじゃねえ!!」
アスマが投げつけたロックグラスがカカシの後頭部に直撃すると同時に、紅の手刀が至近距離からカカシの側頭部にめり込んだ。
さらに紅が腰を浮かせたまま固まっていたカカシを思い切り大広間の出口に向けパンチラキックで蹴り飛ばす。
紅の華麗なるパンチラキックに再び大広間に歓声と興奮が蘇った。
「・・・イルカッ!!!!」
カカシはその反動のまま弾丸のように大広間を飛び出していった。
「青春ね・・・」
「青春だな・・・」
カカシを見送りながらアスマと紅が満足げに頷く。
「青春だぜ・・・」
「青春ですね・・・」
ゲンマとハヤテは既に失ってしまった物を惜しむように眩しげに目を細める。
「青春だっ!!!!」
イビキの鞭を振るう手首のスナップもますます冴え渡る。
いつの間にか大広間に居合わせた者達全員が訳がわからないながらもスタンディングオーベイションでカカシに盛大な拍手喝采を浴びせていた。
物凄い歓声と大蛇丸の嬌声、鬼鮫の悲鳴の中、イビキのSMショーも華々しく再開される。
残された面々は機嫌よく再び乾杯する。
宴はまだ終わらない。夜はこれからなのだった。
「イルカッ!!!」
大広間を出て長い渡り廊下を見渡すと既にイルカの姿は無い。
カカシは全速力でイビキの部屋を目指す。
身体を繋げた相手は星の数ほどいるが、惚れたと自覚した相手なんて今まで一人もいない。
宴会場でイルカと目線すら合わせられずにいた女々しい自分をアスマと紅が怒鳴りつけ、情けないがやっと行動を起こす事が出来た。
なんだか逃げ出してしまいたいような気もする。
けれども、今までと同じように面倒臭くなったら関係を清算するなんて、イルカとのつながりを断ち切ってしまうだなんて想像しただけでもカカシの指先から血の気が引く。
だいたい他人に自分のプライベートへの干渉を一切許さなかったカカシが、イルカと無理矢理に同居をはじめた時点で相当にイルカにはまっていたのだ。
自分の鈍さに自分で呆れる。
一人の人間と深い関係を築いていく。今まで煩わしいと思っていたこともイルカとなら努力をしてみたいと思う。
とにもかくにも、今はイルカの身柄確保が先決だ。話はそれから。
カカシは走るスピードを更にあげた。
しかし、カカシは冷静さを欠いていた。
イルカが大広間を後にしてから、カカシがイルカの後を追うまでにかかった時間は僅かに数十秒。
壁に激突するほど泥酔しているイルカがそんな短時間で渡り廊下を歩ききり曲がり角の向こうに姿を消す事などありえない。
イルカは大広間を出た途端にひっくり返り、大広間に隣接する四畳半ほどの布団部屋に転がり込んでいたのだ。