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ふくふくとした小さな手が弁慶の衣の袖を掴む。
弁慶の手元を子供達が飽きもせずに覗き込んでくる。
流感を患っている子供等の父親のために弁慶は薬草を小鉢の中で丁寧にすり潰していく。
その家族の母親は下の子が生まれてすぐに肥立ちが悪くなくなったのだそうだ。上の子だってまだ十にもなっていない。
父親が倒れてしまってはこの寄る辺無い三人の子供達の生きる術はなくなる。
乾燥させたどくだみの葉を細かくすり潰したものを弁慶は粗末な素焼きの椀に残さずに移し変えた。
「いいですか、これを食事の後に飲ませてください。精のつくものを食べさせてゆっくり休めば必ず良くなりますから」
「精のつくものって、なあに?」
そう子供に問われて弁慶は言葉を失う。
辛うじて雨風をしのげるといった粗末の小屋の中を弁慶はぐるりと見回した。
台所らしきカマドと水瓶が置かれている場所に目をやっても食材らしきものが何も無い。ここ最近カマドに火が入れられた形跡すらない。毎朝火がくべられるべきそこには蜘蛛の巣が張り巡らされていた。
父親も子供達もここ数日何を食べていたのか。これではいくら薬を飲んだところで治るものも治らない。
「お腹は空いていますか?」
コクリと各々頷く子供達に弁慶は笹の葉に包まれた稗の粉で作った団子を懐から取り出し手渡した。
「これは君達で食べなさい。あと、空いている茶碗を持ってきてください」
一番大きな子供が水瓶の上に伏せられていた縁の欠けた碗を持ってきた。その中に弁慶は茶碗に半分ほど携帯食として持ち歩いている糒(ほしい)を入れてやる。
「これは粥汁にしてから君達の父君に。火を起こせないのなら水浸にするだけでもよいのですよ」
茶碗を子供達に手渡しながらも弁慶の心は鉛を呑み込んだように重苦しく曇る。
わずかばかりの食料を与えたところで何になるのか。一時ひもじさを満たすだけのこと。
根元の問題を解決するには弁慶の手には余る。
五条大橋の下を中心として川岸に沿うように集落が広がっている。
ここ数年、この集落に住まう人の数は膨れ上がる一方だった。
京の都は中心部はすっきりと区画整理され碁盤の目のように整えられた大路をさすがは花の都だと人々は口々に称える。
しかし少し目を逸らしてみれば表ばかりを飾り立てる都の歪んだ姿が見えてくる。貴族達が富を占有し、都人達から理不尽な搾取を繰り返した結果、市井でささやかな生計を立てていた者達は暮らしが立ち行かなくなり住む場所すら追われる。
行き場をなくした者達は自然と大橋の下に集まるようになった。
そこは似通った粗末な小屋がずらりと連なっている。
働きたくとも仕事も無く、生活の糧を得られなければ汚泥を啜り草の根をかじり飢えをしのぐしかない。
弁慶は時折大橋の袂を訪ねては病に臥している者に薬を処方し、怪我をしている者の手当てを施す。感謝されこそすれ迷惑がる者もいないが、自分の行為は偽善以外の何物でもないと弁慶自身が一番良くわかっている。
しかし一時しのぎでも何もしないよりはましだろう。束の間であっても、確かに弁慶に助けられる者もいる。
そしてその者に感謝をされる度に上位から人々へ恵み施す自分の傲慢さを思い、弁慶は自分自身に唾を吐いてやりたくなるのだ。
もし千本太刀を集める事が叶ったら、その時は更に見聞を広げるために京を離れようと弁慶は考えていた。
このまま京に居残り弁慶が大橋に通い続けたところで世の中は何も変わらない。
集めた太刀は売り払い、手に入った幾許かの金は施し所に預けた。金が尽きるまでの間は大橋の下に住まう人々も定期的に食事を取ることが出来る。
さて今夜、悲願が成るという時に弁慶は引き合うように遮那王と出会った。
鮮烈な色を持つ少年に弁慶は会ったその日に心を奪われたといっていい。
朗らかに笑みを絶やさない弁慶の周囲には人が集まる。しかし弁慶は特別に誰かに執着するという事が無い。誰にでも分け隔てなく心を配るが自分の中に相手を深く踏み込ませることも無い。そして離れていく者は決して追わない。
だから遮那王は弁慶が生まれて初めて自分から歩み寄った特別な人間だった。
どうしてか遮那王の一挙一投足に目を奪われる。
ころころと表情を変える遮那王をいつまでも見ていたいと思った。
そして遮那王を見ているとやりきれなく燻っていた苛立ちが不思議と消えてなくなるのを弁慶は感じていた。
いつまでもこのまま傍に居られるとは思っていない。
遮那王は多分、時がくればこの鞍馬山を降りてしかるべき所に身を置くことになるだろう。幼さは多分に残っているがその凛とした佇まいや、その身に着けている装飾品、衣の見事さからも遮那王はそれなりの身許なのだとわかる。
何故鞍馬山に長年押し込められているのかは当の本人も知らないらしい。
力を欲するのは先の見えない自分の将来への不安からか。
だが、もう少しだけこのまま一緒に時を過ごすことを許して欲しい。
自分も遠くない先、やはり京を離れる。それまでの短い時を少しだけでいい自分に分けて欲しい。
京に来てからこんなにも身が沸き立つ想いを感じた事はない。
遮那王と過ごす時間は弁慶の中でまるで光を反射する水面のように目が眩むほど眩しく輝いていた。
「何をよそ見している!!!」
「おや」
一瞬考え事に捕らわれた弁慶に遮那王は鋭く切り込んだ。寸前まで弁慶の胴があった空間を遮那王の太刀が半円を描いて分断する。
「すみません。君の事を想う余りつい考え事を」
弁慶は何事もなく遮那王から数歩離れた場所に軽やかに足を着き、流れる動作で再び刀の切っ先を遮那王に向ける。
「おっ、お前は!!いつもおかしな事ばかり言うっ!!!」
遮那王は簡単に怒髪天をついた。顔を真っ赤にして髪の毛を逆立てる遮那王を見て弁慶は目を細める。
「そんなに叫んでばかりで疲れませんか」
「弁慶のせいだろう!!!」
苛烈な一撃を弁慶は今度は流さずに自分の得物で受け止めた。
その斬撃に弁慶は軽く柳眉を持ち上げた。初めて打ち合わせた夜に比べて明らかに遮那王の斬撃は重く威力を増している。遮那王が斬り込む際に重心を踏み込んだ足から刃の上に移動させているのだ。しかもそれを無意識でやっている。
何日か手を合わせてみて遮那王の剣技の突出した才に弁慶は内心舌を巻いていた。
まるで砂が水を吸い込むように遮那王は弁慶の技を自分の中に取り込んでいくのだ。
「・・・っ!!」
弁慶は太刀の鍔で遮那王の刃を受ける。しかし遮那王の剣は速さも威力も失われずに鍔を押し戻しながら弁慶に迫る。
キンと硬質の音がして弁慶の太刀は弾かれ弁慶の足元すぐ傍にざくりと突き刺さった。
「凄いな。まいりました」
朗らかに両手を上げる弁慶の前で遮那王は弁慶と視線を合わせたままガクリと膝をつく。遮那王の額からは玉のような汗が止まらずに零れ落ち、息もなかなか整わない。
「か・・・・勝った!」
ふっと張り詰めていた遮那王の表情が緩む。
言うなり遮那王は着物が汚れるのも構わず弁慶の足元に仰向けに寝転がってしまった。
「ふふ、とうとうやられてしまいました」
素直に喜びを表している遮那王を見ると弁慶の口元も綻ぶ。
弁慶も遮那王に習い、遮那王の隣に仰向けに身体を横たえた。
ぽかりと開けた竹林の中から仰ぐ抜けるような青空は濃い緑色の葉に縁取られている。
二人の上を通り過ぎる風は初夏の気配をはらんでいて心地良い。
「・・・何故手を握る」
遮那王が訝しげな声を出した。
「何故って、そろそろ礼を頂こうかと・・・」
「!!!」
弁慶は繋いだ手を素早く地面に縫いつけるとあっという間に遮那王に覆い被さった。
汗に濡れてしどけなく横たわっている遮那王は青くそれでいてなんともいえない色香を放っていた。
「ま、待て!礼は最後にまとめてっ・・・!」
「もう僕が君に教えられる事はありませんよ」
弁慶が口を塞ごうと顔を寄せると遮那王は可愛い抵抗を示し顔を背ける。しかしその所為で無防備に晒された首筋に弁慶は遠慮なく吸い付いた。
「やっ・・あ!」
舌を這わせて遮那王が滲ませた汗を甘露のように舌の上で楽しむ。きめ細かな肌をきつく吸えば遮那王はビクリと身を竦ませた。真っ白な新雪のような遮那王の首筋には簡単に紅い華が咲く。
「待て・・!まっ・・」
水干の上衣を勢い良く剥ぎ取ると弁慶は着物の合わせ目からするりと片手を潜り込ませ、遮那王の可愛らしい胸の飾りを探し始める。
「往生際が悪いですよ、遮那王。剣なら君は僕より強くなったんですから約束通り手合わせの礼を」
「んっ・・・剣、なら・・・?」
弁慶がしまったと思った時には遅かった。口にした言葉は取り消せない。
「ああ・・ええと」
とりあえず笑顔を浮かべたまま弁慶はどう言い繕うか目まぐるしく頭を回転させる。
その間にも弁慶の身体の下で遮那王の表情はどんどん険しくなっていった。
抜けているように思えて余計な所で遮那王は聡い。
弁慶が一番得意とする得物は薙刀であり、実は太刀などほんの手慰みにしか握った事がない。しかしそれでも弁慶の太刀捌きはその辺のもののふに引けを取らない。
それが遮那王にばれた後、弁慶は遮那王を宥めるのに酷く骨を折った。
この次は薙刀で勝負だとしつこく耳元で喚く遮那王を前にさすがの弁慶も疲れ果て、とうとう一つ頷き次の手合わせを承諾したのだった。
遮那王はすぐにけろりとして、ついさっきまで弁慶に首筋を吸われていた事など忘れてしまっている。
「薙刀に太刀で挑むにはどう立ち回ればよいのだろうな。今度弁慶と手合わせをするのが楽しみだ」
「どうも・・・君とは艶めいた運びになかなかなりませんね・・・・」
小気味良い笑みを閃かせる遮那王の乱れた衣を弁慶はため息を零しながら直してやった。
薙刀に心捕らわれてしまい頭が一杯になってしまった遮那王の相手をしながら弁慶は夕暮れ迫る鞍馬山を降りていく。
日は沈みかかっているが日中の熱気は未だ逃げきらずに二人の足元で燻ったまま。
少年達の季節は足早に夏に向かっていた。