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アカデミーの正門で待ち合わせて、里の飲食店街に二人はゆっくりと歩を進める。
馴染みの店が数件できるほどに二人は夕飯を共にしていた。
最初の頃は子供達の話に始終していたがこの頃は他愛も無い世間話、お互いの昔話、仕事の話など会話の内容は多岐に渡る。
話題は尽きない。
階級の垣根を越えて此処まで親しく付き合う事が出来るのだから馬が合うのだろう。
遠慮の無い友人同士のように好みの女の話だってする。
だからイルカが付き合い始めた恋人の話を切り出しても、カカシは日常の会話の一つとして受け止めた。
「へえ、イルカ先生もすみに置けないですね」
カカシがからかうとイルカは酒に酔った顔色をいっそう濃くした。
「昔からの知り合いで、まあ今更惚れたはれたも無いんですけど」
「ふうん。いいですね、そういうの」
返事が無いのを訝しんでカカシがイルカを見やると、イルカは少し目を見張って物言いたげにカカシを見返していた。
「なに?」
「意外です」
「どうしてですか」
「・・っと、いいえ。あの」
途端にイルカは困ったように言葉を詰まらせる。
その反応でカカシはイルカが何を言いたいのか大体見当がついた。
「ああ、別に。進んで女の相手をしているわけではありませんよ」
「それは・・・同じ男としては非常に羨ましい話ですねえ」
「はは、思ってもいないクセに」
カカシの指摘は当たっていたらしく、ふふふと笑いながらイルカが人さし指で鼻の傷を軽く掻く。
「だって、俺には華やかな噂や激しい恋なんて縁が無いですから」
「憧れますか」
「まあ、多少は。でも、一人の相手とお互いを想い合えれば、俺はそれだけで・・・・」
イルカの顔を見れば、憧れると言いつつもイルカはその穏やかな恋に満たされ幸せなのだと知れる。
その幸せとはどのような心持ちがするものなのだろう。
カカシを取り巻く女達との駆け引きはイルカのいう幸せには程遠い醜悪さで、お互いに打算と妥協から成り立つ薄ら寒いものだ。
しかし、それをあえてイルカに教える必要も無い。
「そういうの、いいですね」
言葉少なに繰り返すカカシの声には本音が滲んでいたが、イルカは笑って取り合わない。
「カカシ先生には似合わないですよ、そんなの」
「・・・そう?」
こんな時、カカシはイルカとの距離を少し感じてしまう。
飛び交う様々な自分の噂は大体どんなものかカカシ自身も把握しているが、その噂のフィルターはイルカの目からも完全に外れていないようだ。
イルカの中のはたけカカシとはどんな男なのだろう。
「ほら、今お付き合いされている上忍の方とか。あんな綺麗な方ならカカシ先生にピッタリです。お似合いです」
「ありがとう」
イルカの言うくの一の顔を思い出そうとしたがそれは無駄な努力に終わった。
きっと単なる性欲処理の相手といる所をイルカに見られたのだろう。その事をイルカに正直に話す事は憚られた。
例えばアスマに対してであればその女の具合はどうだったなどとかなり下世話な話までするのだが、きっとイルカはそんな話を笑って流す事など出来ないだろう。
カカシが考え事に捕らわれていた意識を再びイルカに向けると、いつの間にやらイルカの瞼は半分落ちかかっている。
「イルカ先生、眠いんでしょ。帰ろうか」
「はい・・・」
席を立たせてみるとイルカの足はふらついた。思ったよりも酒を過ごしてしまったらしい。
イルカに肩を貸しながらカカシはイルカのアパートまでの道のりをゆっくりと歩く。
すっかり夏は過ぎ去ってしまい、肌寒さを感じる秋の夜にイルカの体温は心地よかった。
「カカシ先生、俺ぇ・・・」
「なに?」
歩きながらますます酔いが回ったのか、イルカは呂律まで怪しくなってきている。
「俺・・・、多分結婚します」
「・・・そうですか。おめでとう」
きっとイルカは、今夜この事を言いたかったのだろう。
タイミングを計るうちに酒を飲みすぎてしまったのだ。
「でも、カカシ先生。これからもこうしていっしょに飲みましょうねー・・・・」
「そうですね。時々は飲みましょう」
「ええ?時々ー・・・?」
なにやら不満げにイルカは口の中でもぐもぐ言っている。
「結婚したら奥さんを大事にしなきゃ。飲み歩いてばかりじゃ駄目でしょう」
チクリと指すような胸の痛みを無視してカカシはイルカを諭す。
仲の良い友人が家庭を持って、その友人の中の優先順位が変わる瞬間の心の痛み。
こういうものなのかと、初めての経験にカカシは痛む胸を紛らわせる為深く息を吐いた。
「カカシ先生がそういうなら、時々で我慢します・・・・」
「うん、偉い偉い」
「・・・子ども扱い、してるでしょー」
拗ねたように唇を突き出すイルカにカカシはなんとも言えぬ気分になる。
イルカに付き合ってやる体ではいるが、今ではカカシもイルカと過ごす時間を楽しみにしているのだ。イルカが思う以上に。
無防備に甘えた素振りを見せるイルカに少し胸が苦しくなる。
今は頻繁に会ってはいるがイルカの中でカカシの占める割合はそのうち変わってくるだろう。
お互いに一人身ならともかく、イルカはこれから家庭を持つのだ。
その内に離れていくだろうイルカに自分は笑いながら手を振らなければ。
今自分に触れるイルカの体温を感じながらも、しつこく居座って無くならない寂寥感を無視してカカシは軽口を叩く。
「だって子供みたいで可愛いから」
「可愛くないです。俺はいい年したムサイ男です」
イルカが唇を突き出しながら頬まで膨らませるものだからカカシは声を上げて笑った。
その笑い声は少しばかり乾きすぎていてあっけなくカカシの体の上を滑り落ちた。カカシの様子には全く気付かずに、抗議するようにイルカは更に頬を膨らませる。
すみません、と謝れば気を良くしたようにイルカは邪気の無い笑みをカカシに見せた。
こうして笑いながらじゃれあう機会もこれからは数えるほどしか持てないだろう。
この時間が少しでも長く続くようにと、カカシはゆっくりと歩を進めた。
それから数日はカカシも忙しく、イルカと過ごす時間はなかなか持てなかった。
イルカもイルカで普段の仕事の他にも式の準備などで忙しいのだろう、たまに受付所で行き会っても世間話すら出来ずに挨拶だけで別れる事の方が多かった。
それでも別れる間際は眉尻を下げて悲しげな子犬のような表情を見せるイルカからは自分に対する変わらない真っ直ぐな好意が伝わってきて、カカシの口元にはイルカと対照的に笑みが零れてしまう。
「色々と私事でも忙しいでしょう?落ち着いたらゆっくり、ね」
「絶対ですよ、カカシ先生」
名残惜しげにその場に立ち尽くすイルカの背をカカシは強く押して次の仕事場へと送り出す。
何度も振り返りこちらを見るイルカにカカシは軽く手を振ってやる。
今はお互いに忙しいけれど、いつか二人でまた酒を酌み交わして他愛の無い話をしよう。
カカシはそんな時間が再び持てるのだと信じて疑わなかった。