よっぽどはたけ上忍が好きなのね。
そういう恋人の言葉にギクリと体が強張った。
責められているような気がして。
カカシ先生は人としても忍としても素晴らしい人だから今度紹介すると言えば、恋人は少し悲しげな表情で首を振る。
その表情の意味がイルカには分からなかった。
本来であれば知り合う機会も無かった里の誉れとまで言われる人。
多少は舞い上がっていると自分でも自覚している。
けれども、こんな取り得も無い自分とカカシは一緒に過ごす時間を作ってくれる。
嬉しいと思わずには居られない。
どうして目の前の恋人は、自分がカカシと過ごす事にあまり良い顔をしてくれないのだろう。



「・・・う・・」
しわがれた声が自分の物と分かるまで少し時間がかかった。
どれほど気を失っていたのか。
身を起こそうと下肢に力を込めると身体の中心に熱棒が捻じ込まれているかのように脳天にまで衝撃が突き抜けた。
息を詰めてイルカは再び身体を寝具に沈める。
鼻先を寝具に染み込んだ自身とカカシの濃い体臭が掠めた。
気付けば部屋の主はただ静かに横たわるイルカの上に少し上体を傾けてこちらを見下ろしている。
「カカ・・・シ・・・」
イルカの声にカカシは大袈裟な程に身体を揺らした。
カカシの整った顔が辛そうに歪む。きつく眉根を寄せた拍子にカカシの赤と蒼の双眸からイルカに向かって涙が零れ落ちる。
けぶるような銀色の睫を伝ってイルカの胸に雫がいくつも滴り落ちた。
「・・・っ、俺を・・・」
嗚咽がひどく、上手く言葉を紡ぐ事が出来ないでいる。
この男は誰だろう。
涙を拭いもせずにイルカの前に泣き顔を晒し、震える手でイルカに縋るこの男は。
「俺を、拒まないで・・・・・」
カカシの声には怯えと哀しみが滲んでいて痛ましい。
自分がカカシにされた事も忘れ、イルカははらはらと涙を落とすカカシに見入っていた。
ひくひくと、カカシの喉がしゃくりあげて痙攣しているのが振動でイルカに伝わる。
自分は今までカカシの一体何を見てきたのだろう。
今、本当のはたけカカシという人間に初めてイルカは出会った。
無意識にカカシの背中にイルカが手を回したのは、震えながらむせび泣く男があまりにも可哀想だったからだ。
憐れで、可哀想で、こちらまで悲しくなる。
カカシは深い悲しみの中に落ち込んでしまい、その深みから這い上がる事も出来ずに身を震わせている。
無理矢理に組み敷かれて身体をいいようにされたというのに、こんな姿を見せられてはイルカの中で怒りも湧きようもない。
もう、いいからと。呟いた言葉は微かにイルカの喉を振るわせただけで、掠れた、意味のない音にしかならなかった。
感覚が薄れた掌で何度もカカシの背中をイルカは撫で上げたが、その行為はカカシの心を楽にはしないようだった。
「イルカ先生は、優しすぎる」
泣きはらした顔でイルカを見つめるカカシの表情には哀しみが色濃く残ったまま。
「・・・・手当てをさせて下さい」
カカシはゆっくりと上体を起こしてイルカの傍を離れた。
不意に遠のいたカカシの体温を惜しむかのように、イルカは思わずカカシの腕に手を伸ばす。
宙に浮いたイルカの手を、カカシはまるで壊れ物でも扱うかのようにそっと両手で包みシーツの上に戻した。
「ごめんね・・・」
好きになってごめん。
自分に向けられたカカシの言葉をイルカは信じられない思いで聞いていた。
天が二物も三物も与えたような、全ての人間から憧憬の念を向けられるであろうカカシが望んだのは、こんな面白味も無い凡庸な自分だというのか。
身体を動かす事の出来ないイルカを、カカシは丁寧に拭き清めていく。
カカシはイルカの体力が回復するまで甲斐甲斐しく世話をしたが、その間性的な意味をこめて触れてくる事は一切無かった。
最低限の会話しか二人の間には無く。
それでもカカシは、イルカがカカシの部屋を去るまで一時も離れず寄り添っていた。
物音も立てず、静かに自分に寄り添うカカシを見てイルカの中で何ともいえない感情が込み上げてくる。
しかし、昨夜の激情はすっかり形を潜め自分には最早何も求めていないカカシを見ると、イルカは無意識にカカシへ伸ばしかけた手をそれ以上動かす事が出来なかった。












久しぶりに会う恋人は、話をする前から全てを承知したような顔をしていた。
「はたけカカシは、ずるいわね・・・・」
息を呑んで恋人の顔を見やれば、別段怒った風でもなく穏やかな表情でこちらを見つめたままでいる。
寂しそうに微笑む姿を見れば胸が痛んだ。
しかしその痛みなど簡単に凌駕して、整理のつかない混沌とした感情がカカシに向かって止まる事なく流れていく。
「あなたは、突き放す事なんて出来ないでしょう?」
「・・・すまない」
イルカの一言で恋人は一切を振り切ったようにカラリと笑う。
「元気で」
別れ際に恋人は鮮やかな美しい笑顔を見せた。
イルカは何も言う事が出来なかった。
人を傷付ける事になっても、それでも。
こんなにも強く一人の人間に心囚われた事など無い。
その想いは愛という以外、なんと呼べばいいのか。
強く、穏やかで、それと同時に激しく、脆く、痛々しい不安定さを併せ持つ人。
里の高名な忍ではなく、自分の感情を持て余して幼い子供のように震え泣いていた男にイルカは心を奪われた。
恋に落ちた。
生まれて初めての激しい恋に。


イルカが再びカカシの家を訪れた時、カカシは喜色を顔に浮かべるどころかただただ驚き、戸惑っているようだった。
「傍にいます」
イルカの言葉の意味が分からないとばかりに、カカシは無言で立ち尽くしている。
悲しみと愛しさが同時に込み上げ、イルカはきつくカカシを抱きしめた。
トクトクと、カカシの胸の鼓動は強くイルカの耳を叩くというのに、カカシの腕はイルカを抱き返す事を躊躇しだらりと下げられたままだ。
「俺は、カカシ先生の傍にいます・・・」
どうすればイルカの想いはカカシに届くのだろう。
イルカの言葉を信じる事が出来ないカカシを、イルカはいつまでも抱きしめ続けていた。









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