「泣き虫さん」







物凄い力技だった。
あんな血を吐くような悲痛な叫びを無視できる訳無いじゃないか。
外界を隔てる頑丈な籠の中から、カカシはイルカによってズルズルと引きずり出されてしまった。
「逃がしませんからね」
キリとイルカに睨みつけられてカカシは微かに首を竦めた。
イルカは物凄く怒っているらしい。
顔を赤らめて、目尻にはうっすら涙まで浮かんでいる。
どうして自分はいつもこうなのだろう。
イルカを怒らせるか、迷惑をかけてばかりいる。
身を隠しても隠さなくてもイルカを怒らせてしまうなら、もうどうしたら良いのか分からない。
思い返してみればイルカが自分の前で笑った記憶が無い。
アカデミーや受付所で、自分以外の人間と接する時にはいつも屈託無く笑っているのに。
肩を怒らせて目の前を大股で歩くイルカは、興奮のあまり今にも泣き出してしまいそうに見える。
カカシがイルカを思い出すとき、イルカはいつも満面の笑みを浮かべているがその笑顔はカカシに向けられたものではないのだ。
イルカに引き摺られるように歩くカカシがひっそりとため息をつくと、カカシの腕を掴むイルカの掌に力が篭った。
アパートに着いて、サンダルを脱ぐのももどかしいといった様子でイルカはカカシを居間まで引きずり込んだ。
カカシはイルカの迫力に圧倒されっぱなしでいる。
「あの・・・、逃げませんから」
居間の中央で仁王立ちになってもまだカカシを離さないでいるイルカに、カカシはぽそりと呟いた。
「そ、そうですかっ・・・」
突然、イルカは両腕を振り上げ慌てた素振りでパッとカカシの手首を開放する。
今まで遠慮もせずに手首をわし掴んでいたクセに今更な話だ。
しばし沈黙が続いた。
「・・・色々、すみませんでした」
ペコリとカカシが頭を下げる。
「迷惑だって、分かってますから・・・・。忘れてください。今までの事、全部」
今までの事にやっとけじめをつける事が出来たとカカシは思った。
それから頭を上げたカカシが目にしたものは、憤怒の形相をしたイルカだった。
天井が回る。息が詰まる。
カカシが状況を把握した時、仰向けに倒れたカカシの上にイルカが馬乗りになっていた。
「あなたはっ!自分勝手だ・・・!!」
カカシの頬にパタパタと熱い熱が落ちる。
イルカの涙はカカシの口布に吸い込まれてなお、しっとりと熱を失わない。
「考えると、言ったでしょう!そりゃあ、あなたの気持ちに応えられるかなんて分からない。けれど、勝手に自己完結して、勝手に姿を消してっ・・・」
ぎゅうとイルカが目を瞑るとあとからあとから涙はカカシの頬に落ちる。
「怖くなったんです。このまま、あなたに会えなくなったらと、思ったら・・・・」
「イルカ、先生」
カカシがゆっくりと上半身だけ起こす。
「俺も怖い」
何が、とイルカは涙を拭きもせず濡れ顔のままカカシを見つめる。
「俺は、イルカ先生が怖い」
「・・・怖くないですよ」
カカシの顔に浮かんだ表情にイルカは気付かない。
「怖くないですよ。もう怒ったりしません」
イルカはぐいと袖口で涙を拭うと、カカシに必死に言い募る。
カカシが諦めると同時に、口の端には自然と笑みが浮かんだ。
人を怖がらず、人を疑わず、躊躇いもせずに心の内にまで踏み込んでくるイルカが恐ろしい。
本人にはその自覚が全く無いから性質が悪い。
イルカは背負い切れるかどうか考える前に、とにかく全ての人間を受け入れようとする。
喜んでその懐に飛び込んだ人間はそれが自分が望む物と違うとは、慈しむように笑いかけてくるイルカにはとても言えないのだ。
そして、その人間は自分の意に染まぬ物だとしても、イルカの温もりを手放せなくなる。
イルカは優しくて、残酷だ。
怖くて、愛しくて、同じほどに憎らしい。
告白をしてきた男の腰の上に無防備に馬乗りになっているイルカをカカシはゆるりと脇に押しやる。
「あ、重かったですか。すいません・・」
「いいえ」
ああ、泣きたいのは自分の方だ。
しくしくと心臓が痛む。
「考えるって、どんな風に?」
「どんな、風にって・・・・」
ほら、やはりイルカは返答に詰まる。
カカシが逃げたから、反射的に追っただけなのだ。
「イルカ先生が、考えるなんて無理。茄子は一人で食ってください」
「カカシさん・・・」
良い友達になりましょう、とか。
たまには子供達の話をしながら一緒に飯を食いましょう、とか。
イルカが考えられるであろう二人のこれからなんて、イルカの口から聞くのは正直言って耐えられない。
「イルカ先生、ごめんね。悪いのは、俺です」
勝手に好きになって、しつこく付き纏って。
そして、イルカに理不尽に罪悪感を負わせて。
イルカが用意してくれようとしたカカシの居場所は、きっと涙が出るほどに暖かくて、身を切られるほどに辛いだろう。
カカシがその場に留まり続ける事は出来そうにない。
本当にイルカには、悪い事をした。


帰り道の夜空の星々は高すぎて、とても手が届きそうに無かった。








back   novel   next