「戦う背中」








カカシが再び姿を見せなくなった。
デスクの上に放り出したファイルは思ったよりも大きな音を立てて、他の書類と一緒に雪崩を作る。
普段物にあたることなどないイルカが手荒く仕事道具を扱う様は受付所で目を引いた。
その場の水を打ったような静けさに、イルカも我に返る。
「・・・失礼しました」
同僚達はおろか、火影の注目まで集めてしまいイルカは一人赤面した。
「こら、仕事に集中せんか」
静かな火影の声と、その視線を感じてイルカはますます顔を上げられなくなる。
まったく何て未熟なんだろう。
仕事中に他の事に気を取られて、それを態度に表してしまうなど。
近頃は何をやっても上手くいかない。
気がつけば考え事に囚われていて、目の前の事に集中できないのだ。
傍に居ても居なくてもカカシに振り回される。
無意識にイルカの口から深いため息が零れた。
それを同僚が慌てて嗜める。
ついさっき、火影に集中しろと言われたばかりだというのに。
イルカが窺うように火影に視線を送ると、火影は普段と変わらずに穏やかな表情で煙管から煙を燻らせている。
「もう上がってよいぞ」
その火影の、帰れと言わんばかりの言葉にイルカは少なからずショックを受けたが、
「たまには早めに仕事を済ませてゆっくり休むがいい。最近、ろくな休みも無かっただろう」
三代目の目端の笑い皺が深まるのをイルカは今度は申し訳なく眺める。
終業時間まで残り数分ではあったのだが、同僚達も快く頷くので火影に一礼してイルカは受付所を後にした。





自分でも周囲に甘えているな、と思う。
人の出会いにも恵まれて、自分は様々な人から助けてもらっている。
だから、イルカも関わりあう全ての人々の力になりたいと思うのだ。
何処を気に入ったのかはさっぱり分からないが、自分の事を好きだといってくれたカカシに対しても。
ただ、同じ想いをカカシに返せるのか、と考えるとそこまでは気持ちが追いつかない。
それに好いてくれたからといって、お返しとばかり自分も相手を好きになるなんて、それは間違っているような気がする。
好きになろうとして人を本気で好きになることなど出来ないと思うから。
そこまで思い至り、イルカはカカシに言い放った自分の言葉を思い返してハッとした。

考える、と言った。
自分はカカシに、カカシの想いに応えられるかどうか考えると言ったのだ。

その時点でイルカの気持ちがカカシに向いていないと言ったも同然じゃないか。
考えた末にイルカがカカシの気持ちに応えると告げたところで、それは心の底からの想いではないとカカシは分かっていたからイルカを拒絶したのだ。
「俺、馬鹿だ・・・」
カカシの想いに少しでも応えられればなどと、何を奢っていたのだろう。
真剣に心をぶつけてきてくれたカカシを、何て馬鹿にした話だろう。
自分は相手の気持ちを少しも考えていなかった。
自己満足で相手に手を差し伸べるふりをしていただけだ。
きっとカカシは呆れて、失望して、イルカの傍を離れていったのだ。
「カカシさん・・・」
イルカの声は空しく暮れかけた赤く焼けた空に吸い込まれる。
今、心からカカシに会いたいと思う。
いくら軽蔑されてもいい、一度、謝らせて欲しい。
この謝罪だって自己満足なのだろうか。
カカシは多分、謝罪の言葉なんて自分には望んでいないだろう。
ああ、でも。
今、カカシに強く会いたいと思う。
それはイルカの偽らざる心からの願いだ。




夕闇の中に黄金色の頭を見つけたときにはイルカは駆け出していた。
イルカの勢いに七班の子供達は目を丸くして立ち止まった。
「カッ、カカシ先生は?」
普段に無い、取り乱した様子のイルカにナルトなどは言葉を無くしている。
「イルカ先生、どうしたの?カカシ先生はずっと任務で里には居ないわよ」
サクラの言葉にナルトとサスケが無言でコクリと頷く。
カカシが留守の間、七班はアスマに預けられてアスマ班と合同訓練や合同任務についていた。
受付所にはカカシの任務についての書類は通っていない。
それは火影から直接に命が下されるSランクの任務だからだ。
「イルカ先生、大丈夫か?」
心配そうに見上げてくるナルトの頭を、イルカは力なく撫でる。
「大丈夫だ・・・・」
足元から血の気が引いていくようで、イルカは軽い眩暈を覚えた。
平和ボケもいいところだ。
里に居ながらも平行して刹那に身を置く人の切なる想いに、自分はなんと酷い仕打ちをしてしまったのだろう。
呆然とするイルカを子供達が不安げに見つめる。
「そうだ・・・任務だったよな。もう少ししたらカカシ先生は、帰ってくる」
イルカの言葉に子供達がホッとしたように表情を緩めた。
「びっくりしたー。カカシ先生に何かあったのかと思ったってば!」
「別に、何も無いさ」
腰にしがみついて一楽のラーメンを強請る子供達に生返事をしながらイルカは空を見上げた。
夕焼けの空にうっすら姿を見せ始めた半透明の月を、カカシも何処かで見ているだろうか。
どうか、見ていて欲しい。
どうか、ご無事で。
自分の手を掴む子供達の高い体温が、余計にさらりとしたカカシの肌を思い出させた。










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