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あっという間に週末は過ぎ去った。
月曜日、カカシは出勤しなければならない。
「飯、腹が空いたらテーブルの上に乗せてあるからきちんと食べろよ」
カカシの声にイルカはベッドの上からおざなりに尻尾を振って応える。
「じゃあ、行ってくるから」
しまいにはイルカはカカシに背を向けてしまい、ぱたりと尻尾で布団を叩いてみせた。
イルカの部屋着はカカシのYシャツが定番になり、今もそれ1枚を羽織ったままのイルカが尻尾を揺らせばチラリと丸い尻が見え隠れする。
ぱったんぱったんと、寝そべって尻尾を揺らすだけのイルカをカカシはしばらく見ていたが時間も迫ってきたので部屋を後にした。
まあ、犬のように尻尾を千切れんばかりに振って見送ってくれるとは思っていなかったが。
「そっけないもんだよねえ」
苦笑しつつもカカシは会社へと向かった。
残業は毎度の事なので夜までもつ位の食事と水は用意しておいたが、初めて留守番をさせるイルカの事が心配でいつもより早く仕事を切り上げカカシは帰路についた。
「ただいま」
玄関に入り明かりをつけてカカシはギョッとした。
玄関マットの上でイルカが丸くなっている。
目は固く閉じられてピクリとも動かない。
「イルカ!イルカ!」
カカシは慌ててイルカの肩を揺さぶる。
イルカはうっすらと目を開け、カカシを認めるとカカシの首筋にぎゅうとしがみ付いてきた。
目覚めたイルカにカカシはホッとしたがその身体を抱きとめると芯まで冷え切っている。
身体を温めようとカカシは何度もイルカの背中を撫で上げてやる。
「玄関で何やってるの、もう・・・」
「んなぁー、あぉー」
イルカは何やら盛んに訴えてくるが、カカシに分かる筈も無い。
「は?何?飯?」
イルカはカカシの首に齧り付くようにして離れないので、カカシはイルカをぶら下げながら台所に向かった。
台所のテーブルの上には空になった深皿とその周りに散乱する食べこぼしの跡がある。
しっかりと食事は取ったようだ。
トイレか?と、カカシはイルカを引き摺ったままトイレに連れて行く。
週末をかけてトイレの躾は済ませてあり、イルカは抵抗無く便座に座る事ができる。
でも一人では出来なかったのだろうかと思ったが、イルカの様子を見るとそれも違うようだ。
「あーぉ、んんー」
「もう、何よ。わかんないよ」
カカシはいささか疲労を覚えて、イルカを抱きかかえたまま仰向けにベッドに沈み込んだ。
ふうと一息ついてカカシは目を瞑る。
するとイルカはカカシの頬やら口やらをペロペロと舐めあげてくる。
そのあまりの必死さにカカシは目を開けると、自分を見下ろす黒い双眸は不安げに揺らいでいた。
イルカの表情を見て、カカシはイルカの言動への疑問がストンと落ち着いた。
ああ、そうか。
「お前、寂しかったのか」
気持ちが急激に和らいで、じんわりと喜びが込上げてくるのをカカシは感じた。
きっと、ずっと玄関でカカシの帰りを待っていたのだろう。
「俺の事待ってたのか?」
イルカは答える事は無かったが、すんすんとカカシの存在を確認するようにカカシの肩口で鼻を鳴らすとその鼻先をぐいと埋めてきた。
イルカはカカシにペタリとくっ付いて離れなくなってしまった。
(飯も食いたいし、風呂にも入りたいんだけど・・・・)
やがて穏やかな寝息が聞こえてきて、カカシは観念してイルカを抱え直した。
艶やかな黒髪をゆっくりと梳いてやる。
少し、イルカの寝息が深くなった。
今までこんなに頼られて、全身で甘えられた事なんてあっただろうか。
もしそれが女であれば重い事この上ないが、相手がイルカだと可愛いと思うのはどうしてだろう。
心地よい重さを感じながらカカシも誘われるように眠りに落ちていった。
その次の日もイルカはカカシを見送る事はなかったが、カカシは玄関に毛布を一枚用意して家を出た。
その日から、帰宅後、玄関で毛布に包まって丸くなっているイルカをベッドまで運ぶのがカカシの日課になった。
平日のお互いの距離の取り方もなんとなくわかってきて、次の週末になった。
食料を買い足しに、とカカシが部屋を出ようとするとイルカは激しく引き止めようとする。
「んなーぅっ!!」
イルカはカカシのふくらはぎに飛びついて思い切りジーンズの上から歯を立ててきた。
「いっ!いだだだっ!!近所のスーパーに行くだけだって!」
必死にカカシにしがみ付くイルカは、カカシが何を言おうが聞こうとしない。
「飯!買ってこなきゃ何にも無いんだから!!」
バリッと自分の足からイルカを引き離して、カカシはぽいとベッドの上にイルカを放り投げた。
急いでカカシは寝室のドアを閉める。
ドアの向こうからはイルカの鳴き声とカリカリと爪を立てる音が聞こえる。
「すぐ戻ってくるからな」
ドア越しにイルカに声をかけ、鳴き止まないイルカに後ろ髪引かれながらカカシは買い物に出かけた。
時間にすればほんの一時間足らず。
カカシは大急ぎで買い物を済ませて家に帰った。
買ってきた食料を適当に冷蔵庫に放り込み、カカシは寝室の様子をうかがう。
寝室のドアを開ければ中は酷い有様で。
クローゼットの中は引っ掻き回されて、ルームランプのカバーは無残に破かれている。
罪の無い窓際の観葉植物は思い切り引き倒されて根が剥き出しになっていた。
イルカの八つ当たりをまともに受けた寝室を見てカカシは長いため息をつく。
当のイルカはグシャグシャになったベッドのシーツに包まって丸くなっている。
カカシがそっとシーツをめくると、イルカはすぴすぴと鼻を鳴らして眠っていた。
暴れ疲れたのか、泣き疲れたのか。
イルカの目尻に涙が溜まっているのを見てカカシの胸が痛んだ。
「そっか・・・・」
何故カカシが部屋を出て行くのをあれほど止めようとしたのか。
先週末、カカシはずっとイルカの傍にいたからだ。
スーツのカカシは部屋を出て行ってしまうけれど、私服のカカシは自分の傍にいるのだとイルカの中で区別されているのかもしれない。
可哀想な事をした。
胸が痛むと同時にカカシはイルカの事が愛しくて堪らなくなった。
イルカの世界のほとんどはカカシで占められているのだろう。
自分がいなければイルカはきっと生きてはいけない。
歪んでいるかもしれない。けれど、カカシはその事に喜びを感じた。
絶対的な信頼を寄せられて、どんな想いであれ自分に好意を持ってくれる存在がいる事は何とも胸の中を暖かい気持ちにさせてくれる。
「ごめんな」
キスの真似事は数え切れないほどしているが、カカシは初めて自分からイルカの頬にキスをした。
家族にするような、我が子にするような。
想う気持ちが自然と現れた。そんなキスだった。